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未だ残存する植民地主義/朝鮮大学校学生がフィールドワーク

2025年06月11日 09:00 歴史

日立鉱山と茨城初中高で

茨城県朝鮮人納骨塔を訪れ、犠牲者を追悼した

朝鮮大学校の強制連行真相究明サークルが主催する「日立鉱山フィールドワーク」が8日、茨城県内で行われた。ここに同大の学生22人が参加した。

強制連行真相究明サークルは、先代たちが受けた被害の実態を詳しく知り、現代においても在日朝鮮人の尊厳が踏みにじられている原因を考えるべく2000年代初頭に発足。現在33人の学生が所属している。これまで強制連行者・被害者名簿の整理、フィールドワーク、各種学習会、講演会などを企画。フィールドワークでは主に強制連行の現場や関東大震災朝鮮人虐殺の現場を訪れている。今回、サークルとしては11年ぶりに日立鉱山を訪れることになった。

茨城県北部に位置する日立鉱山(1981年閉山)は日本の四大銅山に数えられている。太平洋戦争当時、日本鉱業(現:JX金属)が操業していたこの地では1940年から45年にかけて、約4千人の朝鮮人が強制連行され、劣悪な環境下で危険な労働を強いられた。

日立鉱山に関する案内を茨城県朝鮮人慰霊塔管理委員会の張永祚さん(79、事務局長)が務め、当時の写真資料を用いて、日本の加害の実態を伝えた。

一行は最初に日立鉱山跡地に位置する日鉱記念館を見て回った。続いて、山間を縫うように敷設された県道36号線を徒歩で下り、朝鮮人犠牲者の遺骨が安置されていた本山寺を訪ねた。道中では、一本杉(市の天然記念物)、朝鮮人が植えたとされるムクゲの木に立ち寄った。この一本杉は鉱山の重労働に耐えかねた朝鮮人が、逃亡の目印にしたとされており、また近くの監視所で多くの朝鮮人が捕らえられた場所でもあるという。

本山寺を訪れた一行

本山寺は、鉱山事故によって亡くなった人々を荼毘に付す火葬場に隣接している。当時、火葬の待合所として用いられた寺の住職が、捨て置かれた朝鮮人の遺骨を保管していた。

火葬場の跡地で黙祷を捧げた一行は、日立平和台霊園にある茨城県朝鮮人慰霊塔に向かった。

慰霊塔に隣接する納骨堂には本山寺から改葬した日立鉱山犠牲者の遺骨が安置されている。

学生たちが用意した花束が供えられた後、焼香をあげた。

管理委員会の韓今淑さん(62)が詩「日立鉱山のアリラン」(金松伊作)を朗唱した後、学生たちがピリの音色に合わせて「アリラン」を合唱した。

その後、茨城初中高の歴史資料室「想(뜻)」を訪れた一行は、資料室の開設に携わった李鏞周さん(60)から茨城民族教育の歴史や資料室の開設の経緯について説明を受けた。学生たちは実際の写真資料や展示パネルを通して在日朝鮮人史に関する見聞を広めた。

サークルの責任者である李知湖さん(教育学部4年)は、日鉱記念館に加害の歴史が記されていないことを挙げ「今も植民地主義が続いているとはっきり知ることができた」としながら「茨城初中高の歴史に触れて、当時の同胞たちが朝鮮人としての生を渇望していたと強く感じた。次の世代に歴史を継承させていく民族教育の大切さ改めて思った」と語った。

学生たちの引率を務めた朝鮮問題研究センターの金哲秀所長は「日立鉱山における強制連行の実態を知るには、現存する資料が乏しいが、張永祚さんが学生たちに事実を伝えながら当時をイメージできるようにしてくれた」と述べ、祖国解放から80年を迎えてもなお課題が山積していることを指摘し、「今回のフィールドワークは、次世代がこの問題を解決し、歴史を記憶し続ける決意を固めるきっかけになった」と意義を強調した。

(高晟州)

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