ヴァイオリニスト小林武史先生を偲んで/金学権
2025年06月05日 10:24 寄稿今年94歳になられる日本を代表するヴァイオリニスト小林武史先生ご逝去の悲報を受けた。
とても残念で寂しい限りだ。
奥様に電話でお悔やみを伝えながら30年間に渡る先生との思い出が頭に浮かび、このペンを取った。
◇
1995年、小林武史先生から電話をいただいた。
「金さん、時間があったらすぐ家に遊びに来てよ。聴いてほしい録音があるんだ」
何日か後に伺うと「この演奏聴いて。誰の演奏か分かる?」。「分かりません」という私の答えに、先生はこう述べた。
「おたくの国の子どもの演奏だよ、14歳の。友だちに聴かせたらハイフェッツ(20世紀を代表する伝説的ヴァイオリニスト)の幼少期の演奏ではないかと言ってたよ。今回も平壌の音楽大へ寄せてもらったんだけど、小学生からバッハやモーツァルト、ベートーヴェンの曲をバリバリ弾いているのでもうびっくり。しかもその水準が半端ではないんだ」
先生のにこにこした顔が忘れられない。
小林先生は1985年、87年、91年、95年と4度、平壌で催される「4月の春親善芸術祭典」に参加され、團伊玖磨作曲の「ファンタジア」と朝鮮の名曲「思郷歌」を演奏された。
また行くたび、平壌音楽舞踊大学(当時)へ行き朝鮮の子どもたちと接した。そして日本へ帰ってくると、知り合いのヴァイオリン専門店にお願いして子ども用ヴァイオリン(子ども用といっても専門的な)を数十台集めて朝鮮へ送られた。私も一度お手伝いしたことがあった。
こんなことも思い出された。
先生が、文化庁芸術祭で芸術祭大賞を受賞されたときだ。團伊玖磨先生をはじめ日本を代表する音楽家、また関係者が集まり、某ホテルで受賞パーティーが開かれた。先生はそこで30分スピーチをなさったのだが、そのうちの15分は訪朝したときの話であった。
朝鮮は音楽を愛してやまない国であること、そのレベルが高いこと、音楽教育のすばらしさ、そんな朝鮮との交流の大切さを訴えられていた。
私は当時、文芸同(在日本朝鮮文学芸術家同盟)の音楽部長を務めていたので、小林先生と朝鮮の間に立っていろいろお手伝いさせてもらった。また先生にヴァイオリンを習ったことのある李君と一緒に年に2、3回先生のお宅へ伺い、奥様のおいしい手料理をいただきながら3時間、5時間、長い時は7時間も音楽の話、朝鮮の話を楽しくさせてもらった。
日本を代表する交響楽団をはじめ、チェコ国立ブルノ・フィルハーモニー管弦楽団、オーストリアのリンツ・ブルックナー管弦楽団のコンサートマスターを歴任され、また日本を代表する團伊玖磨、伊福部昭、小倉朗、有馬礼子をはじめとする作曲家が「先生へ」とヴァイオリン曲を書かれた。先生はそれを初演し世界に紹介し続けた。またアジア、ヨーロッパ、北米、南米、中近東、アフリカと世界をまたにかけて演奏旅行をしながら、行く先々で子どもたちを指導して、91歳になるまでコンサートを続けられた。そして「私は平和のためにヴァイオリンを弾くのだ」と叫び続けた。
とくに過去、戦争で迷惑をかけたアジアの国へ謝罪を込めて「アジアの子ども音楽会」を開くことを夢見ておられた。
私もそんな先生からいつも力をいただいていた。
そんな先生が5月19日に他界された。情勢がいい時も悪い時も、いつも朝・日友好の懸け橋を渡り続けられた先生。
私は最大の敬意をもって、もう一度襟を正し深く哀悼の意を表します。
(作曲家、文芸同音楽部顧問)