総聯結成70周年、私の思い出/曹光勲
2025年05月20日 09:29 総聯40年間教職に就いた私は、総聯結成70周年を迎え改めて思う。総聯と民族教育の存在は、在日同胞の団結と民族心の継承に大きな役割をはたしてきたのだと。
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まず思い浮かぶのは、60年前のマスゲームだ。
1965年5月28日、総聯結成10周年を祝賀し、8千人が出演する駒沢競技場でのマスゲーム「祖国に捧げる歌」が開幕した。
同年3月末に大阪朝高師範科を卒業した私は、東京朝鮮第7初中級学校に赴任した。新年度の準備に加え、マスゲームの準備で大忙しであった。当時私は18才で、生徒たちとの年齢差はわずかであった。
子どもたちに自宅から古新聞を持参させ、色紙を何枚ものり付けして「背景板」(※ひな壇の反対側の観客席で文字や絵を形成する)を作る。そして、できあがった背景板を運動場に並べ、3階から見下ろして、1枚の絵になっているかを確認するのだ。駒沢競技場での予行練習の時、学校ごとに作った絵がつながっているかを確認し、帰校したのち修正を加えた。
いよいよ当日、ファンファーレが鳴り背景板に絵が浮かぶと、客席から盛大な拍手が沸き起こった。
1972年5月30日には、金日成主席生誕60周年を祝賀し駒沢競技場でマスゲーム「領袖にささげる栄光の歌」が行われた。同胞や日本市民、31カ国の代表たち11万8千人が観覧。マスコミも大きく取り上げ、背景板の絵が変化していくことに関心を寄せた。

駒沢競技場で行われたマスゲーム「領袖にささげる栄光の歌」(1972年5月30日)
種を明かせば、背景板の向かい側の最上部に指揮所があり、何番の絵を出すか大きな板に書かれ、朝大の教員が赤と白の旗で指揮するのである。
たまに赤でなくてはならない背景の中にポツンと白色が見える時がある。これを誤差(오차)と呼んでいた。子どもたちが座る背景板のスタンドにはスピーカーがあり、「縦何番、横何番目、誤差」と言うと、名指しされた子どもが慌て修正したものだ。
スピーカーの声の主は私であった。駒沢競技場が東京第7初中の学区にあった関係で選ばれたのであった。
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母校である大阪中高の新校舎にも触れたい。
年初、横浜で大阪朝高師範科卒の関東在住5人で同窓会を開いた。ここで集めたお金を同校教育会に送った。
大阪では東成区に校舎を新築する。最近東成地域の同胞たちが実行委員会を立ち上げて、学校の景観を彩る木々をプレゼントするプロジェクトを進めている。
大阪在住の弟は「すごいで。エレベーターまであるんや」と言っていた。寄付型クラウドファンディングに送金した。植えられた木を見た同窓生や同胞たちも、このプロジェクトにぜひ参加してもらいたい。
かつてアボジ、オモニも学校を支援することに熱心であった。それは私たち兄弟・妹がみな師範科で免費教育を受けたので、その恩返しの意味もあった。
その気持ちを受け継ぎ、これからも支援していきたいと思っている。
(総聯東京・大田支部馬込分会居住)