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帰れぬ人びと/長生炭鉱犠牲者に思いをはせながら

2025年05月19日 16:21 寄稿 歴史

エィミ・ツジモト(国際ジャーナリスト)

 

2025年4月初め、山口県宇部市にある海底炭鉱の一つ、旧「長生炭鉱」を訪れた。

日米戦争さなかの1942年2月3日早朝、海底坑道の天井が陸(おか)から約1.1㎞沖合で崩落した。坑内で作業にあたっていた183人の炭鉱員が生き埋めになった悲惨な事故である。

忘れてはならないのは、このとき作業にあたっていた人たちのうち136人は、旧植民地時代の朝鮮半島から集められていたことである。かれらは、いまなお海の底に眠る。海から突き出た二本の「ピーヤ」といわれるコンクリート柱(排気・排水筒)からは、犠牲者たちの怨嗟の声が聞こえてくるようだ。

海底から浅すぎる石炭の採掘であった。本来は、海底から47m以上での採掘が原則であったはず。だが大国アメリカの強大な戦力に対向すべく、日本軍は石炭の増産を急いでいた。無謀かつ無理な作業が引き起こした大惨事であった。あろうことか、事故を知った家族が泣き叫ぶなか、鉱夫たちが入っていった陸の「坑口」を、憲兵たちは無残にも閉じたのである…

海に眠る人々に想いをはせながら、あらためて先の戦争は終わっていないことを実感した。

海面から突き出る2本のピーヤ

 

筆者は、今から20年前に、『消えた遺骨』と題して南太平洋の島々でアメリカ軍の捕虜となった日本兵たちが引き起こした痛ましい暴動事件の顛末を追った。ニュージーランドの地において収容された日本兵たちは、捕虜となった汚名を晴らすべく暴動を起こし、49人の犠牲者を出した。うち1人はニュージーランド兵であり、また犠牲者の中には少なからず朝鮮人もいたとされているが、創氏改名により日本名を名乗っていたため正確な人数はわかっていない。

そこには「生きて虜囚の辱めを受けず」という「戦陣訓」の教えがあった。ここで注目したいのは、ニュージーランド側がこのときの犠牲者たちの「遺骨」を丁重に扱い、日本の敗戦まで手厚く保管していたことである。戦後、「遺骨」はニュージーランド政府の手によって返還され、母国日本の土を踏んだのである。

ところが、その「遺骨」は消えてしまった。上陸直後から捕虜仲間たちは必死でその行方を追うが、最後まで「行方不明」のまま今日に至っている。筆者として当時の厚生省に何度も尋ねたが、なしのつぶて。そればかりか、(帰還船による)乗船者たちの名簿さえない有様だった。

あらためて母国日本では明治以降、言うまでもなく先の戦争においても、国家は民衆を守るどころか、被害者ないし加害者の立場に追いやっていたことを実感し、「消えた遺骨」のありかに深い悲しみと同時に喪失感を抱いたことが、つい昨日のように思い出されてならなかった。

 

旧長生炭鉱は1932年に「個人事業」として操業を開始し、事故発生以前は1千人以上が朝鮮半島から駆り出されていたという。

海上を突き抜けるピーヤを前に、あらためて考えてみた。

長生炭鉱は西洋列強の帝国主義を模倣しながら朝鮮半島の人々の人生を愚弄し、敗戦後80年の節目にしてなお反省もなく、多くの犠牲者を生んだ一つの象徴である。

この悲劇に対して多くの日本人が無関心であった理由の一つに、かれらも戦死・被災者を出した遺族としての痛みがあったこと、さらには二度の原爆によって、あたかも日本人は加害者ではなく「被害者」であるという意識を植え付けられてきたところにも要因があるのではないだろうか。もっと言えば、戦時中のプロパガンダを信じこみ、自分たち日本人はアジア全域を西洋列強の植民地主義から守り解放しようと考えた「崇高」な目的があると信じ込まされたという側面もあった。ゆえに、朝鮮半島の人々に対する「強制連行」はやむをえないとした姿勢があったことは事実である。言うまでもなく、このような論理をかざす歴史家による民族意識からは、自国の、他民族に対する圧迫や搾取の歴史は飛んでしまう。

ここでかつての同盟国ドイツの敗戦後をかえりみなければならない。1970年12月7日、ワルシャワを訪れた首相ウィリー・ブラントは、ワルシャワ・ゲットー蜂起の記念碑の前で跪き、ナチスの犯罪に対する自国ドイツの責任を認める姿勢を世界にみせた。同時に彼の行為は、当時分断されていた東西ドイツの悲劇に対する関係の改善に貢献したといわれる。

それに比し、日本政府は未だ「中途半端」な姿勢――ある政治家は謝罪するがその反面否定する政治家も存在する― ―での「おわび」のみである。もっと言えば戦後の冷戦のなかで、朝鮮戦争(1950〜53)が起こり、日本に経済復興をもたらした要因がここにある。その背景には朝鮮民族同士の戦いがあった。同士討ちという悲惨を極めたうえ、現在の朝鮮民主主義人民共和国においては壊滅的被害を受けている。推定ではあるが総人口の20%以上がこの戦争で犠牲になっていることに驚愕する。当時朝鮮の人口は、軍人・民間人を含む約900万人。米軍による壊滅的な爆撃作戦は、地上戦とともに、著しい戦死者を生み出している。この大悲劇は、近代戦争において最大の数といわれている。

 

こうした事実を前に、旧長生炭鉱における「遺骨」の収集は、朝鮮半島そして日本にとって誠に意義あるものと考える。犠牲者たちの遺骨を遺族が待つ母国へ返すことが、ささやかながらも朝鮮の方々に対する弔慰としなければならない。さらに言えば敗戦後80年を前に、日本人一人ひとりが、帝国主義ないし植民地主義というものがどのような悲劇を生み、非業かつ悲命な運命を同じアジアの人々に強いてきたという歴史を再認識する時が来ているのだ。

現在の日本は、戦争を知らない世代が圧倒的に多い。かれらは「戦争」の真の悲惨さを知らないばかりか、歴史的認識すら乏しいと思われる(とはいえ、明治以後敗戦までの「帝国主義」の歴史だけではなく、戦後の占領政策などに関する資料なども、日本の保守勢力は教科書から消した事実があることも認識する必要がある)。もしも、東アジアが平和であればこのような過去の事実を重要視する必要性はないのかもしれない。だが、アメリカによる中国に対する封じ込め政策が強化される今、引き続き朝鮮に対しても「敵意」を強化する一方となることは紛れもない事実である。

 

このような現実を前に、人々が二度と戦争への道へと巻き込まれることがないよう、旧長生炭鉱をはじめとして、日本全国における未だ「帰れぬ人びと」からの強いメッセージをうけとめる謙虚かつ素直な姿勢が、今こそ求められる時が来たのだ。現代を生きる日本人は、命を賭してこのようなきっかけを投げかけてくれた犠牲者たちにいかにして報いることができるかと、一人ひとりが考えなければならない。戦後80年、直接戦火にまみれることのなかった日本の歴史的事実を見つめ、在日の人たちと心を一つにして新たなる平和の道を手探りであっても歩んでいくことが、人としての「誠意」であると同時に、それを伝えることが報道人としての矜持であると考える。

 

プロフィール

アメリカ・ワシントン州出身(日系4世)の国際フリーランスジャーナリスト。被爆2世。ヨーロッパ・オセアニア・日本に在住し、日系移民の歴史や捕虜問題をはじめ現代史に関する記事を多数発表。

著書に「消えた遺骨―フェザーストン捕虜収容所暴動事件の真実」(2005年)、『満州天理村「生琉里」の記憶―天理教と七三一部隊』(2018年)、『満州分村移民と部落差別―熊本「来民開拓団」の悲劇』『漂流するトモダチ―アメリカの被ばく裁判』(2018年)、近著に『731部隊「少年隊」の真実』(えにし書房)。

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