〈ものがたりの中の女性たち89〉「いっそ夫の手で死にます」-李良女と韓金蟾
2025年05月12日 08:00 文化・歴史あらすじ
東莱府使宋象賢は壬辰倭乱当時、敵の襲撃を受けた中、故郷の両親に向け扇に辞世の句を書き、使用人に託す。その後、おもむろに官服を整えると、北にある王宮に向かい4度礼をした後、倭兵の槍に倒れる。彼の立派な態度に感じ入った倭兵は、「朝鮮の忠臣」と書いた旗を掲げその棺を丁重に運ぶ。その従者と側室金蟾も、彼が椅子の上で犠牲になった後刺殺される。
もうひとりの側室李良女は倭兵の将に捕えられたが、死を賭して抵抗しその身を守る。倭人たちは彼女の気高い態度に驚き、倭国に連行する。倭国にも源氏という節婦がおり、その気高さがよく似ていると、その家の隣に連行した李良女を住まわせる。
ある日、源氏の家の生け垣に雷が落ち家の壁も崩れたが、李良女の家には雷は落ちなかった。天もここに誰が住んでいるのか分かっているのだと、倭人たちは大変驚き畏怖し、彼女を帰国させる。
無事故国に帰った李良女は、宋象賢にもらった錦貝の装飾がある彼の笠の紐を胸に、正夫人の元を訪れ身を寄せる。無事帰国した彼女を迎え、人々は節を曲げなかった彼女の気高さを称賛する。宋象賢の子孫たちは清州に多く住んでいるが、その家門の記録にも残されているという。
第八十九話 李良女と韓金蟾

記聞叢話 表紙
李良女と韓金蟾の逸話は、「記聞叢話」や「燃藜室記述」、「海東名臣傳」、「再造藩邦志)」などに収録されている。壬辰倭乱の際、義妓として論介 や桂月香が有名だが、宋象賢(1551~1592)の側室であった韓金蟾は捕らえられた後3日間、倭兵を罵り続けた末に犠牲になり、同じく側室であった李良女は日本に連行されながら生きて帰国した珍しい例で、ふたりとも野史や野談、稗説などで多く紹介されている。宋象賢の絶命詩は、野史や野談ごとに少しづつ相違があるが、内容に大きな違いはない。
官舎の塀を越え

宋象賢 肖像
韓金蟾は通川郡郡主の庶子で、早くから妓生になったという。宋象賢が咸鏡道鏡城判官であったとき、側室になったとされる。東莱城が倭兵に攻め入られたとき、金蟾は婢今春と共に官舎の塀を越え宋象賢の元に向かう。朝服を準備し死を覚悟した宋象賢に、彼女は言う。「私をお切りください。敵に蹂躙されるくらいならいっそその手で…」。しかし宋象賢は彼女に自ら命を絶ってはならないと厳命し、両親に渡してほしいと言い、指を嚙みその血で血扇圖をしたためたという。
倭兵に捕えられた金蟾は、