三重同胞奮闘記⑯支部を知らない世代が支部を作る/金琴純
2025年04月14日 12:45 暮らし・活動
朝青鈴鹿支部再建大会参加者たち
3月16日、朝青三重県本部管下の鈴鹿支部を再建した。桑名と四日市に続いて3つ目だ。
朝青鈴鹿支部再建大会では、25年前に自身が朝青鈴鹿支部委員長だった曺修生さん(総聯三重県本部副委員長兼鈴鹿支部委員長)が「ビールかけをしたいくらい嬉しい。これから総聯、女性同盟、朝青が一体となって活動できる。ともに頑張っていこう」と挨拶し、新たに朝青鈴鹿支部委員長に選出された申豊海さんと握手した。
朝青三重県本部が25期に入り掲げた目標は、有名無実だったすべての支部の再建、活動再開だ。7年ほどかけて膨れ上がった四日市初中卒業生の連合同窓会LINEグループがカギとなっていると、私は思っている。他県で学び働く者も地元にいる者も、お互いのつながりを断つことなく保持しているからだ。

朝青鈴鹿支部再建大会には鈴鹿支部同胞や朝青桑名支部・四日市支部メンバーがお祝いに駆け付けた
今回常任委員となった趙翔基さんは東京出身で、10年前に仕事で三重県に来た。同胞の飲食店で食事していたところ声をかけられ、以来どっぷり朝青につかり活動を続けていて、毎年四日市初中の芸術発表会で照明係をこなすなど頼りにされている。鈴鹿支部の再建メンバーとして朝青三重県本部の兪竜浩委員長と一緒に準備を進めてきた。
一方の申委員長は、兪委員長と同じ誕生日という因縁の竹馬の友、心友でもあり、愛知朝高を卒業後、就職先で朝青活動を始め、三重に帰省すると運動会や食事会などに参加してきた。いわば逆輸入の形で三重に戻ることになり、委員長職を引き受けたのは「やるなら、竜浩がいる間しかないと思ったから」。
10代から30代、今の朝青世代はハッキョが行事の拠点となった時代に育ち、花見や野遊会など支部や分会で集まって何かした記憶がないそうだ。
一つまたは二つ上の世代から途切れてしまった朝青活動の本質、その何たるかを手探りではあるけれど、新しい発想で走り続けているかれらの様(さま)は原点回帰に通ずる。
「支部会館もなければ支部の経験もしたことがない自分たちだが、卒業して三重を離れる若者たちがまた帰ってきた時のために支部という拠り所を再形成し守り続けていこう」
申豊海・新委員長の決意を朝青三重全体の総意として受け止め、兪本部委員長の引っ提げる若者たちに敬意を表し、かれらに負けないよう私自身を鼓舞しなければ。

左から兪竜浩(朝青三重県本部委員長)、趙翔基(朝青鈴鹿支部常任委員)、曺修生総聯三重県本部副委員長・総聯鈴鹿支部委員長)、金鉉二(総聯三重県本部委員長)、申豊海(朝青鈴鹿支部委員長)、元智香(朝青鈴鹿支部常任委員)
(「ウリ民族フォーラム2023in三重」と準備過程で活気を取り戻した三重同胞社会。フォーラム後も有志たちの奮闘は続いている。同フォーラム記録係を務めた金琴純さんがかれらの活動をレポートする。不定期掲載)