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〈ものがたりの中の女性たち87〉「母は千歳、僕は九百歳」―少年に化けた妖狐

2025年03月10日 08:00 寄稿

あらすじ

徐敬德が開城で道教の講義中、にわかに夕立に降られたとき、身なりが良く、顔立ちが美しい15、6歳に見える少年が、雨を避けて走る姿を目にする。気になって少年を呼んで聞いてみると、家内に不幸がありひとり残った彼は災いを避け、さ迷っているという。

気の毒に思った徐敬德は、彼を家に招く。少年は学識と才能が飛び抜けて高く、数カ月教えただけでそれ以上の教育はいらないほどだった。驚いた徐敬德が彼の家柄を訊ねると、はたして両班家の子息だった。身分も申し分ない彼に縁談を調えてやろうと夫人に相談するが、いい顔をしない。少年の家に災いがあったばかりか、どこの誰とも知れない者に縁談など不吉だと言うのだ。

妻の言うことを聞かず、徐敬德は日取りを決めてしまう。結婚式を10日後に控えたある日、早起きして少年と書物を読んでいた時、雨が上がり朝の陽ざしが窓を明るく照らしている。ふと、少年の姿を注意深く窺うと、彼には人を惹きつける妖しい気が漂っている。驚いた徐敬德は、使用人を呼び少年を縛るよう命じると、詰問する。「最初から最後まで私を騙していたんだな。正直に答えなさい」と。

すると少年は顔色ひとつ変えることなく、滔々と答える。親子のように、師弟のように、一年を過ごしてきたのにと。徐敬德が裏庭の側柏(児の手柏)の枝で松明を作り、少年を照らしてみると、それは歳を重ねた妖狐だった。

第八十七話 太白山の妖狐

東稗洛誦

「太白山の妖狐」は「東稗洛誦(トンペラクソン)」に収録されている。

「東稗洛誦」は、朝鮮王朝後期、盧命欽(ロミョンフム)が当時の社会像を反映させた漢文の短編を収録した野談集。筆写の漢文本とこれを選訳した国文本が多数存在する。作者の盧命欽(1713~?)は本貫が「交(キョ)河(ハ)」、字が「天(チョ)若(ニャク)」、1759年に進士試に合格したこと以外詳細は不明。「東稗洛誦」には漢文短編が56編収録、すべて漢文だということと、文章表現と構成が格調高くち密だということから、編著者は巷の口伝をただ採録しただけではなく、自身の作家意識に基づき、朝鮮王朝後期の歴史的方向性と、その時代の人物像を描き出したものと思われている。

古典作品には狐が多く登場するが、「東稗洛誦」だけでも妖狐が登場するものが数編ある。九(ク)尾(ミ)狐(ホ)が登場し、美しい女性に化けるだけでなく、美しい少年や青年、老人など多岐に渡る。妖狐の色も白だけではなく、黒い個体?も描かれる。

その恩は親子と同じ

縄で縛られ、庭に引きずり出された少年は、その正体がばれそうになると、徐敬德に切々と訴える。

鶴氅衣を着た肖像

「この家に来て1年になります。その恩を例えるなら親子と変わりなく、その義理は師弟のそれより深かったはずです。僕に罪があるなら叱責し鞭打ってください。それでも改まらなければ追い出してください。ですが引きずり出され、縛られるなんてあんまりです」

「お前の正体は分かっている」と徐敬德が言い放つと、狐は泣きだす。

「僕は本来、太白山の狐です。母は千歳、僕は九百歳、天地の理を盗みすべてを得ました。ある日、母に言ったのです。開城に徐花潭(ファダム)(徐敬德の号)先生という者がおり、少しだけ易を見ることができ、奇異な気を持っている。僕が化かしてやりましょう、と。すると母が、あの家にある側柏の樹が恐ろしすぎて入ることもできないと言うので、そんなはずはないと甘く見過ぎて、正体を悟られてしまいました。殺されても仕方ありません」

徐敬德は人をやり、太白山の母狐も殺したという。

ただ力を試しに来ただけなのに、なぜ彼は妖狐母子を殺したのだろうか。

九尾狐に狙われる

道観(道教の寺)に修行に入った12歳の徐敬德に、ある日、師匠の道士は言う。「今日は家に帰り、明日怪しい僧が来るだろう。もてなした後、すぐに帰ってくるように」。

すると鶴氅(ハクチャン)衣(イ)を着た客が、驢馬に乗り靑衣童子をふたり従えて来る。「私は太白山に住まう者。異質で名高い秀才がおられると聞き訪ねて来た」。

「九尾の狐」イメージ

幼い徐敬德が六経、天文、地理、医術、占術、飛仙述など、あらゆる学問の質問をすると、客はすべての質問によどみなく答える。感動した彼は、師匠に引けを取らない博識家だと思う。客も彼が誰よりも聡明であることに感嘆し、一晩泊まって行く。

客が帰ると寺に戻り、あったことをすべて師匠に話すと、師匠はいつもとは違う修行をすると言い、壁に向かい合掌し、4日間立ったまま寝食を絶つ。それが終わるとついてくるよう命じ、風を操り山の頂上に立って、彼に自分の脇の下を両手でしっかり握り目を閉じるよう言う。すると2人は、宙に浮きあがり西を目指し、空を飛ぶ。目を開けていいと言われ、降り立った場所は知らない土地だった。

師匠に言われ粉薬のようなものを水で溶いて飲むと、体が軽く、飢えや寒さを感じなくなる。山の上には高さ、長さが数十里ある巨大な古木があり、師匠はその樹から5本の枝を切り取り、また粉を飲み、師匠の脇の下の服をしっかりと掴み、空を飛んで寺に帰り着く。

いつしか6日が経っていた。師匠はその枝を切り出し、五体の童子の人形を作る。それらにそれぞれ5色の色を塗ると、たちまち外が騒がしくなる。師匠は自分の背中に負ぶされと言い、机に童子人形をきれいに並べて、如意杖を手に持つと説法を唱える。

ますます外は騒がしくなり、青い童子がまずは出て行く。外で何かと戦っている気配がしたが、大きく敗北し戻って来る。白、赤、黒と順に出て行くが結果は同じ。最後に残った黄色の童子が、朝まで夜通し激しく戦い続けた末に勝利する。庭に出てみると、大きな九尾狐が死んで横たわっている。

先日訪ねて来た客は、この九尾狐だったのだ。徐敬德には強力な守護が付いていたので手が出せず、機を窺い襲ってきたのだった。九尾狐の好物は優れた気を持つ、男子の血と内臓だと師匠は言う。五体の童子の木彫りは神将の化身。12歳の徐敬德が朝起きると、師匠の姿はない。

「東稗洛誦」には九尾狐と徐敬德の話が三話ほどあるが、彼が妖狐を忌み嫌い、警戒するのは、いつも彼が九尾狐や他の鬼神に狙われるからである。「見鬼」(鬼神が見える人)であるとされる彼にまつわる他の野談にも、鬼神がらみの「退治」や「調伏」、「祓い」の類が多い。

朝鮮王朝時代の大哲学者、12歳の少年徐敬德が、師匠の脇の下を必死に掴み空を飛ぶ姿や、師匠の背に負ぶさり目を白黒させる様を想像すると、ちょっとかわいいと思ってしまう。ハングルの異本が多くあるのは、「東稗洛誦」にこんな面白い野談がたくさん収録されているため、漢文が読めない層に共有されたためだろう。

(朴珣愛、朝鮮古典文学・伝統文化研究者)

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