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〈金剛山歌劇団沖縄公演〉奇跡の舞台裏(上)

2025年02月19日 09:00 文化・歴史

見出した希望、次世代の力

47年ぶりの金剛山歌劇団沖縄公演。会場は人と人をつなぎ、心と心をつないだ奇跡的な空間そのものだった。そればかりかステージを通して、場を共にした人たちに感動と勇気、気づきと学びまでをも与えていた。在日朝鮮人とウチナーンチュ(沖縄の人)それぞれの視点から、奇跡の舞台裏に迫った。(全2回)

不安な状況から一転

沖縄公演のフィナーレで壇上にあがる関係者たち(前列右から3番目が白充さん、同じく6番目が李栄淑さん)

公演開催が決まり、実行委員会が発足したのは昨年9月のこと。「当初、チケットの売れ行きはいまいちだった」と共同代表の白充さんは語る。そんな不安要素を抱えたまま、鹿児島公演(11月7日)を観に行った。発起人である李清敏・総聯鹿児島県本部委員長へのお礼を兼ねての訪問だった。

「中級部生の頃に福井で観て以来、24年ぶりに歌劇団公演を観た。実はこのとき、『ウリハッキョ、ウリ未来』という歌の演目を観て、恥ずかしながら泣いてしまったんですよね」。そう笑う白さん。涙があふれたのにはワケがあった。

「金賢玉先生(元総聯沖縄県本部活動家)が生前、ウリハッキョの重要性を語っていたことを思い出したんです。金先生は4.24教育闘争を強く記憶していて、当時父親が逮捕された経験もある方だった。(演目を観たとき)辛く悲しい歴史を、歌と踊りで笑顔にかえてきた在日同胞たちと、その同胞たちが、明日を生きるための希望を託したウリハッキョとが、ひとつに繋がった」。

沖縄公演のステージで披露された舞踊「山河を舞う」

在日朝鮮人の歴史とウリハッキョ、ウリハッキョが育てた歌劇団の団員たち、そして文化芸術が持つ力…。鹿児島公演は、沖縄の地で暮らす白さんにとって、民族的アイデンティティを継いでいくうえで切実な存在ともいえるウリハッキョの重要さを再確認する場となった。そして決心した。「人数以上に、思いを届けよう」と。

以来、同業の弁護士たちや知り合いなど、一軒一軒あいさつまわりや電話掛けを始めたという白さん。歌劇団の素晴らしさや、その意義を呼びかけるかれの思いに呼応するように、11月時点で100枚が売れたか売れていないかの状況だったチケットは、12月にS席が完売、1月中旬までに1・2階席がすべて完売し、急きょ3階席を開放する流れに。「こんなに集まるなんて思いもしなかった」(白さん)。

「ハッキョ」がない地で

満席となった会場

迎えた公演当日。場内は当初の予想をはるかに上回る観客でいっぱいとなった。同胞コミュニティーの基盤がなく、前回公演も約半世紀前のため前評判は聞こえてこない。各地で行われてきた巡回公演を取り巻く条件とは明らかに異なる悪条件だった。しかし、蓋を開けてみると、その9割が県内在住の沖縄の人たちで、経緯こそ違うが、皆が口を揃えて「民族伝統芸能を継ぐ」在日朝鮮人のアーティストたちに興味や関心を持ったと観覧理由を語っていた。

後日、公演を終えた白さんに感想をたずねると、「舞台上からは、照明の関係で客席がほとんど見えなかった。だから盛況だったと言われるような状況は目に焼きついていないんですよね」と少し残念そうに笑いながらも、こう続けた。「けれども感想文を読んで、自分が伝えたかった『辛いことを文化の力で乗り越えてきた』在日同胞たちの歴史や思いが、観客たちに、ちゃんと伝わったんだと感じられて嬉しかった」。

沖縄公演のステージで披露されたチャンセナプ独奏「われら幸せを歌う」

実際、公演後に寄せられた100通を超える感想文は、そのほとんどが沖縄の人たちが書いたもので、「虐げられ踏みにじられた人権を、逆境の中で、よくここまで磨き上げ、守り育ててきたと思う。これからも文化や芸術を通して交流し、お互いがそれらを磨き続ける中で、民主的な社会を創り上げる努力を続けられたらと思う」「(フィナーレで)県立芸大OBの方々と団員の皆さんが一緒に並んだ姿は、琉球と朝鮮の外交舞台を目の当たりにしているようでとても素敵だった」など、金剛山歌劇団の尊さを語る内容であふれていた。

白さんは言う。

「金剛山歌劇団ってこんなに素晴らしいんだなと。また素晴らしいだけじゃなくて奇跡的な存在なんだと、その価値が伝わったのが本公演の意義だと思っている。沖縄には在日朝鮮人にとってのウリハッキョという存在がない一方で、沖縄の人々にとっても、かれらのウリハッキョは、この地にない。その二重の意味で『ハッキョがないこと』を日々痛感するし、どれだけウリハッキョが奇跡的な存在なのかを改めて感じている。私が朝鮮人として沖縄に居られるのも、先代たちが繋いできてくれたウリハッキョがあったからだ」

沖縄公演のステージで披露された舞踊「あの空の向こうへ」

白さんが、金剛山歌劇団の存在意義に重ねて語ったウリハッキョの価値。それは、金賢玉さんが、かれに教えてくれたものだ。

「沖縄復帰後、『「従軍」慰安婦だった人に話を聞きたい』と裴奉奇さんを訪ねる人は山ほどいたが、ハルモニは『いやだ』と言って会わなかった。そんな中、最後の最後まで訪ねたのが総聯の活動家たち。ハルモニが『なぜ訪ねてくるのか』と金先生に聞くと『自分たちはあなたが朝鮮人だから会いにきたんだ』と言ったそうだ。金先生は、『この話を堂々とハルモニに言えたのは、自分がウリハッキョに通ったからだ』と仰っていた。そして、この思いを沖縄で引き継げるのは誰かとなったとき、私たち夫婦だと思った」

民族教育の尊さを深く胸に刻み、総聯活動家として沖縄での活動に励んでいた金賢玉さんに、金剛山歌劇団をみせよう―。パートナーの李栄淑さんからの後押しと、この間支えてくれた、たくさんの人たちの存在に励まされ、公演当日まで駆け抜けてきた。とりわけ、李さんは、公演の企画・準備のみならず、翌日にあった観客向けバスツアーの企画・運営責任者を担うなど、沖縄で歌劇団公演を行う意義を追求した一人だ。

金剛山歌劇団が47年ぶりに沖縄で公演を行った。

そんなかのじょをみながら、白さんが強く感じたのは「次世代の力」そして情熱が奇跡を起こすという実感だった。

「年齢を重ねると経験が身に着くから、どうしても先に計算してしまう。これやりたい、けどできないよね、と。でも時に、奇跡が起きることがあって、現状を情熱で乗り越えたりもする。これこそが在日朝鮮人の歴史だと再確認したし、情熱を強みに次世代が果たせる役割がちゃんとあるのだと感じた」

前回から47年ぶりとなった沖縄公演。次回公演はまだ決まっていないが、「熱が冷めないうちにやりたい」と、白さんは開催への意欲を語る。なぜならその空間に、同胞コミュニティーの希望、そして未来を見出したから…。

(文・韓賢珠、写真・盧琴順)

スタッフを務めた青年たちの声

繋がった縁、“もっと知りたい”

金紅綺さん(26、沖縄在住6年目)

10年ぶりに歌劇団公演を観た。公演そのものもそうだし、沖縄という地でやる意義をみんなが一生懸命見いだそうとしていた。そのような公演に携われたのは、自分にとっても大きな意味を持つ。沖縄に住む中で、朝鮮と沖縄の歴史的背景がかなり似ているのを感じているし、今回は同胞のみならず日本の人たちも各地からたくさん来てくれた。(公演を)より深く、交流を絶やさないためのものにすべきだと思った。

沖縄でいう「イチャリバチョーデー」(「一度出会ったらみんなきょうだい」)は朝鮮語で「ハナ(一つ)」の精神。今回の公演を通じて出会いつながった縁を逃すことなく、今後一歩ずつこの関係を深めていくことが意義につながるのではないか。

沖縄は目的があって移住して来る人がほとんど。朝青員は少ないが、沖縄にくる青年たちに朝青という温かい輪があることを知らせたい。

村山哲平さん(沖縄国際大学3年)

もともとKPOPが好きで韓国文化には触れていた。今回、朝鮮大学校の学生たちと交流する過程で、元は一つの国だった朝鮮の歴史や文化を知りたいと思った。

公演は終始退屈することなく楽しんだ。歌も舞踊も沖縄とはまた違って新鮮だったし、伝統を感じた。

公演をきっかけに知った朝鮮半島の歴史、文化について、もっと知りたいし、朝鮮の歌を聞いてみたい。

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