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未来を拓く反帝、反植民地の闘い/横浜で徐勝さん講演会

2025年02月10日 08:17 社会

徐勝さんの講演会が神奈川県立かながわ労働プラザで行われた

立命館大学元教授で現在は韓国の又石大学校の碩座教授を務める徐勝さんの講演会「反帝国主義、反植民地の民衆たちはいかに闘ってきたか」が1月25日、神奈川県立かながわ労働プラザ(横浜市)で行われた。

講演会は関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会をはじめ、公益財団法人横浜YMCA、一般社団法人神奈川人権センター、神奈川県朝鮮人強制連行真相調査団が共催した。

徐勝さん

徐さんは、自らも80歳を迎える2025年が日本で「戦後80年」「日韓国交回復60年」として意義づけられていることに触れ、「しかし戦後80年は私たちにとっては分断80年、日本による植民地支配からの解放が挫折して80年、米国による支配80年」であり、「日韓国交回復60年は米国と日本に対する従属の60年」であると指摘した。

徐さんは「戦後80年」について、「この戦争が何だったのかが問われている」と問題提起。「大東亜戦争」「太平洋戦争」「アジア・太平洋戦争」など「この戦争をどう見るかによって、戦争の呼称も異なる」と述べた。第二次世界大戦は反ファシズム戦争、帝国主義間戦争、民族解放戦争という性格があると指摘。「アジアの大部分の国々とっては民族解放戦争だが、この見方は米国によって完全に無視され、抑圧されてしまった」と述べた。

徐さんは第二次大戦後の東アジア地域の歴史を概観。「朝鮮半島の分断後、韓国における最大の問題は日本による植民地時代の統治機構を清算できず、親日派を生きながらえさせてしまったことだ。今日に至るまでその影響が深く根づいている」と指摘した。

日本にとって1945年とは何だったのか―。徐さんは、「日本のポツダム宣言受諾は無条件降伏ではなく、天皇制存置の条件付き降伏だった」「米軍の占領目的が変質していく中で、敗戦後の日本人の厭戦、平和意識も朝鮮戦争がもたらした好景気によって希釈されていった」などの見解を披露。戦犯釈放、再軍備・軍国主義再生、靖国神社再生などのキーワードを挙げながら、「米国は共産主義と対峙していく中で日本を重要な手先として使っていった」と述べた。とくに、冷戦の中で日本の行方を決定づけたもっとも重要な要因としてサンフランシスコ講和条約(以下、サ条約)を挙げた。徐さんは、サ条約が米国の朝鮮半島分断維持、東アジアにおける反共独裁政権をたてての支配体制確保、日本の前線基地化、中国封じ込めなどに大きな役割を果たしたと述べた。

さらに、1965年の日韓条約はサ条約の補完、完成であり、日韓両国はかつての植民地支配国と被支配国の関係を清算するとうたったが、「『玉虫色の解決』というごまかしがこんにちまで両国関係の大きな禍根となって残っている」と指摘した。

一方、徐さんは「東アジアで反帝国主義、反植民地の民衆たちはいかに戦ってきたのか」というテーマについて、抗日パルチザンの中国人指導者・楊靖宇と東北抗日聯軍の活動を例にあげて説明。「アヘン戦争以来、東アジアにおける反帝国主義、反植民地の民衆闘争は支配側との圧倒的な軍事技術の格差の前に圧倒的犠牲を強いられてきたが、決して放棄することなく頑強に抵抗してきた。それは決して無為な死だったわけではない。こんにち、中国東北部での闘争が抗日闘争全体の中でも重要なものとして評価を受けている」としながら、そこに「降伏よりも大義ある死を重視する民衆の闘争のありかた」を読み取った。朝鮮半島でも、1948年の済州島4.3事件をはじめ民衆側の敗北が積み重なってきたが、「そのようなたたかいが結局、われわれの前途を開く唯一の道である」と述べた。

徐さんは最後に最近の韓国国内情勢に触れながら、「日本でも新しい時代の新しい民衆の抵抗のありかたを考えてもらいたい」とし、講演を締めくくった。

(李相英)

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