〈阪神淡路大震災30年〉“ウリハッキョ守らなあかん”/崔秀英さん
2025年01月30日 09:50 在日同胞阪神淡路大震災30年に際して神戸朝高で開かれた座談会では、当時朝青活動家だった趙利寛さん(56)と、地震で兄を失った崔秀英さん(46)が被災体験を語った。その内容を紹介する。
「これまで聞いたことがないドーンという音がした」
6軒長屋の2階で寝ていた崔秀英さん(当時神戸朝高2年生)は激しい揺れに見舞われ、布団をかぶって揺れが収まるまで耐え忍んだ。普段なら街灯の光が差し込み、薄明るいはずだったが、その日の朝は停電により暗闇に包まれていた。隣の部屋にいた両親と合流した崔さんは1階に兄・崔秀光さんがいることを思い出した。
「アボジ、階段がない!」
「そんなわけないやろ!」
崩れた階段を前に父は絶句。2階には母が泣く声が響いた。崔さんたちは歪んだベランダの扉をこじ開けて外に出た。崔さんは「まるで空爆されたような光景が広がっていた」と表現する。
かすかに助けを求める声が聞こえ、がれきの山をかき分けると、声の主は兄ではなく隣人だった。長屋の2階は地震で隣の1階に覆いかぶさっていた。倒壊した家屋の下からようやく兄を探し出したが「変わり果てた姿」だったという。一家みなが号泣し、悲しみに打ちひしがれた。