“熱いものを届けたい”/実行委員らに聞く・金剛山歌劇団沖縄公演一問一答
2024年12月23日 11:04 文化・歴史共同代表・白充さん(同胞側代表)、親川志奈子さん(沖縄側代表)
来年1月30日、沖縄で初となる金剛山歌劇団ツアー公演が開催される。現地の関係者たちは約1カ月後に公演を控える中、急ピッチで準備を進めており、公演当日は満員御礼で飾りたいと意気込む。共同代表を務める・白充さん(同胞側代表)、親川志奈子さん(沖縄側代表)に本公演の開催に至るきっかけや、公演への思いなどを聞いた。(まとめ・韓賢珠)
―沖縄公演、開催のきっかけは?
白充さん(同胞側代表、以下白さん):昨年開催された第41回朝鮮統一支持全国「沖縄」集会を機に総聯鹿児島県本部の李清敏委員長と連絡をとるようになった。李委員長から、金剛山歌劇団50周年を記念して、鹿児島でも今年13年ぶりに公演を開催すると聞き「是非沖縄でもやってみるのはいかがか」と提案されたことがきっかけだ。しかし、公演開催は容易なことではない。
迷っていた自分に対し、配偶者が「これまで、金剛山歌劇団沖縄公演に尽力された金賢玉さん(当時はご存命)に観せよう」と背中を押してくれたことが決心に繋がった。
―今年9月に実行委員会が発足されたが同胞側、沖縄側から共同代表を据えた。
白さん:実行委員会には、自分を含む沖縄在住朝鮮人と沖縄の人々の計7人が加わってくれた。金剛山歌劇団の公演は、わたしたちのアイデンティティーにつながるものだ。もちろん芸術公演として楽しむのもそうだが、そうした点を理解してくれる方に携わってほしいと思い、沖縄のアイデンティティーと関連して日頃から活動する親川さんに共同代表になってくれないかと依頼した。
―白さんから共同代表の依頼を受けた当時の思いは?
親川志奈子さん(沖縄側代表、以下親川さん):以前から沖縄平和運動や基地問題を巡る裁判の現場、自分が運営する放課後児童クラブの講師として携わってもらうなど白さんとパートナーの李英淑さんとは付き合いがあった。その二人の紹介で朝鮮学校の高校無償化裁判を追ったドキュメンタリー映画「差別」を観た。日本の帝国主義の中で在日朝鮮人の皆さんが、自分たちの民族性や言語文化を次世代に継承しようと学校をつくったのに排除される状況に接した。その際、私は琉球人だけど、武力併合され日本国籍と選挙権を持たされている「日本人」という立場を考えると、こういう政治の状況をつくってしまっている加害性や責任感を感じた。
もう一方で、琉球人の私たちは、同化することで生き延びてきた部分があるが、在日朝鮮人の方々が一生懸命に闘って言語や文化、歴史を残し、語り継いでいることに感動した。さらに言うと、私たちが諦めてしまっていたことをやっている姿に、「私たちもこういう未来があったのでは」と考えさせられた。そういう話を白さんや李さんとしていた矢先、金剛山歌劇団公演の共同代表に誘われ引き受けたのがはじまりだ。
―準備はどのように進んでいるのか
白さん:実行委員会では公演を通じて、観客や公演関係者らがそれぞれの民族的な背景に向き合うきっかけをつくれたらという問題意識をもって公演準備に臨んでいる。沖縄のも日本政府という大きな権力の中で政治的立場の違いはあれど、前提として皆がウチナーンチュ(沖縄の人)だ。立場を超えた文化交流でそうしたアイデンティティーの部分に目を向けられたらと考えている。
―見どころは
親川さん:今回特別に、沖縄県立芸術大学OBの皆さんが出演し、金剛山歌劇団を琉球の文化でお迎えしようとステージを準備している。沖縄の伝統音楽や踊りなど伝統文化の継承において危機的な状況にあった中、近年は同大で専門コースが開設され、そこで学んだ人たちがいろんな方面で活躍するなど芸術復興のような流れができている。特別ステージを通じ、琉球と朝鮮の文化を支え、一方でそれを楽しみにしている人たちの交流が生まれたら嬉しい。
白さん:独自の伝統文化を継承・発展させていくのは簡単なことではない。そういう意味で私たちと沖縄の人々は共通する課題を抱えていると思っている。今回の公演と関連し、国立劇場おきなわ・初代芸術監督の幸喜良秀さんの娘である幸喜愛(かなし)さん(沖縄県議会議員)と意見交換をする機会があった。幸喜愛さんによると、幸喜良秀さんは常々、沖縄戦や米軍統治があったにもかかわらず、沖縄がこれほどの復興を遂げたのは、「三線があったから」だと文化の力に言及していたという。その話を聞いたとき、自分たち在日朝鮮人の生活に根づく「歌や踊り」を思い起こした。
異国の地で、同胞たちは嬉しい時も悲しいときも歌い踊った。次世代たちのために立ち上がらなくてはと、歌と踊りと共に逞しく生きてきた。そうした先代たちの汗と涙、喜びと希望の結晶が文化には染み込んでいて、それを高いレベルで継承しているのが金剛山歌劇団だと私は思っている。他方で、沖縄でもいまなお三線が残っている。そう考えたとき、歴史という表象的な共通性だけではない、伝統文化や芸能にしみ込んでいる人々の思いもまた相互に共有できるのではないか。
―公演の意義そして沖縄公演を通じて描く未来は。
親川さん:沖縄の場合、「日本の中の沖縄」「日本人である沖縄県民」というように、それが日本の多様性の中のひとつのように捉えられやすい。一方で、「朝鮮人・琉球人お断り」というような張り紙がレストラン等に貼られていた時代を、私の親世代である60~70代の人たちは覚えているため、自分たちがマイノリティーであることを名乗るのが怖いという雰囲気が依然としてあるし、朝鮮学校などと違い、琉球には民族学校がなく、日本の文科省カリキュラムにそった学校で勉強するため、自分たちの言葉、文化、歴史を学校教育の場で学ぶことはできない。そのため現在進行形で同化が進んでいる。
差別に対して日本人に迎合して差別されないようにする・差別に抗って人権を獲得したいと考える人がいる、これらも差別があることが前提の話だ。今回の公演は、私たちが日本の多様性を支える存在ではなく、自分たちの先祖から受け継いだ歴史や文化を、今を生きる自分たちが学び次世代に伝えることの大切さを学べる気がしている。またその喜びを、公演を通じて受け取ることができるのではないかと思う。異なる文化の美しいステージを単に鑑賞し、消費してしまうことなく、沖縄の私たちが学び、気づかされることがあるはずだ。
白さん:今回の公演は、実行委員など現地の関係者だけでなく、沖縄公演の知らせを聞いた人たちまで含めて、全国の同胞や沖縄の方々の心に火をつける、熱いものが届くような公演にしたい。それぞれのアイデンティティーに火がついて、もう一度胸を張って前を向けるようなきっかけにできれば。そして数年に一度定期開催できるようになれば嬉しい。