〈東南海地震80年〉犠牲となった朝鮮女子挺身隊を追悼
2024年12月18日 16:53 在日同胞 歴史 社会“二度と繰り返さない”
名南ふれあい病院敷地内にある東南海地震追悼記念碑(愛知県名古屋市)の前で「東南海地震犠牲者を追悼する集い」が7日に行われた。
東南海地震とは、1944年12月7日に三重県南東沖を震源とし発生したM7.9の地震。気象庁によると戦時のため被害詳細は不明だが、1200人以上が死亡し、1万6千棟以上が全壊したという。三菱重工名古屋航空機製作所道徳工場も倒壊し、動員されていた労働者51人、朝鮮女子勤労挺身隊員6人が犠牲になった。倒壊の要因は、航空機製造のために内部の柱が取り払われていたことだった。
東南海地震追悼記念碑は、その犠牲者を追悼するため、88年12月、工場跡地に建立。跡地にあった日清紡名古屋工場が閉鎖された関係で、2012年に隣接する病院内に移設された。
追悼式には報道陣含め約30人が参加したが、三菱重工と日本政府関係者の姿はなかった。
式では、管理団体を代表し、医療法人名南会の早川純午副理事長、愛知県平和委員会の小島俊樹理事長があいさつし、名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会の小出裕事務局総務が連帯のあいさつをした。
続いて、政党(立憲、共産、社民)のあいさつ、メッセージ代読があり、地震発生時刻(13時36分)に合わせて参加者全員で黙とうを捧げた。
支援する会の高橋信顧問が閉会の言葉を述べ、献花が行われた。
小出総務は「加害の歴史を思い起こし、二度と繰り返さないという決意を固める場だ」と語気を強めながら「近年、公教育で加害の歴史に触れない動きがある。子どもたちが社会勉強の一環として訪れてほしい」と語った。
寃死同胞慰霊碑管理委員会の李淑姫委員長は「ここで犠牲になった朝鮮人は、戦争によって連れてこられ、戦争によって柱を取り払われ倒壊した工場で亡くなった」とし、戦災であったことを強調。「在日同胞が参列することは、朝鮮人犠牲者の存在や今も続く問題を周知させるうえで大切だ」(李委員長)
(高晟州)