公式アカウント

“途絶えた夢を引き継ぐ”/ホン・ヨンウ回顧展、リレートークで

2024年09月02日 09:05 文化

ホン・ヨンウ回顧展「郷愁」が開催された

8月20~25日にかけて人民芸術家である洪永佑さん(1939-2019)の回顧展「郷愁」が東京都・練馬区立美術館で行われた。24日のリレートークでは、7人の同胞たちが洪さんとの思い出を語った。

親交結んだ人々が思い出語る

はじめに金鎮度さん(84)が発言した。洪さんと26歳の時に出会ったという金さんは、「今日は洪さんと『出会う』という思いで訪れた。洪さんが絵本の20巻目を書き上げた際に出版会を企画したが、諸事情で開催できなかった。こうして回顧展が開かれて嬉しい」とし、「洪さんから、苦労話をたくさん聞いた。専門教育を受けることなく上京し、すべて独学で学び、並々ならぬ努力をして絵を描き上げていった。民俗画の第一人者であり、絵本のイラストだけでなく童話も創作した洪さんは、在日同胞の自慢だ」と誇らしげに語った。

続いて発言した黄正基さん(78)は「作品を見て朝鮮王朝期の画家だとばかり思っていた洪さんとは朝銀東京でのカレンダー企画をきっかけに知り合った」と懐かしむ。黄さんは当時のカレンダーを紹介しながら「15年に練馬ウォーキング会で会長を務めていた洪さんと再会し、その後一度も休むことなく参加した。興味深い話をしながら有意義な時間を過ごしたことが鮮明に思い出される」と回想。また、洪さんが日本画家の平山郁夫さんと共に訪朝し、高句麗壁画古墳群の世界遺産登録に陰ながら貢献したことや、洪さんの絵が朝鮮民俗博物館に国宝として保管されていることなどを紹介した。

多くの来場者が洪永佑さんの絵本を手に取り、鑑賞した

金潤順さん(53)は朝鮮新報社の記者として洪さんのインタビューを担当した。その際に聞いた話として「洪さんは、上京時に朝鮮半島を取り巻く情勢に関心を寄せ、朝鮮語を学びに総聯支部の事務所に通った。そして『朝鮮新報』の配達員として同胞たちを訪ねる過程で民族意識を育んだ」というエピソードを紹介。洪さんの原画展(22~23年、高麗博物館)にも携わった金さんは「洪さんの作品は優しく、その物語は弱い者に寄り添うものだ。洪さんの絵本が日本語で翻訳出版され、たくさんの人々に読まれてほしい」と語った。

月刊「イオ」の編集長を務めた琴基徹さん(65)は「洪さんと共に『イオ』の創刊に携わることができた。数多い思い出の中でも、一緒に酒を飲み交わしながら、いつも政治情勢について語ってくれた姿が印象的だ」としながら「急逝された洪さんには未完の作品や、同胞たちに残したい言葉もたくさんあったはずだ。洪さんが描いていた夢を引き継いでいきたい」と話した。

リレートークに先立って作品解説も行われた

朝鮮新報社で文化部部長、副局長を歴任した朴日粉さん(70)は「絵に描かれているように弱き人、貧しい人、困っている人への目線が暖かい。自分自身も記者時代に、いつも気にかけていただいき、明くる日の力をいただいた」と回顧する。また、洪さんの連載記事(07~09年、朝鮮新報)の編集を担当した朴さんは「絵も素晴らしいが、日本語のエッセイとしても秀逸なので、ぜひ出版していただきたい」とし、「同胞たちに、何を誇りに生きていくのか身をもって教えてくれた」洪さんへの謝意を述べた。

東京第5初中の美術教員である金聖蘭さんは「『朝鮮画報』にリレー形式で祖国の風景を掲載していた時に、若手だった自分に『描いてみなさい』と機会を与えてくれた。若い世代への期待を感じた」と回想する。また金さん、同胞女性画家によるグループ展「パラムピッ」発足の際に名称について相談したとし、「風穴を開けて光を照らす意味を込めてパラム(風)ピッ(光)と名付けてくれた」と秘話を明かす。「若い人を励まして導いてくれる姿が忘れられない。女性が創作を続ける難しさを理解してくださり、いつも背中を押してくださった」と熱く語った。

金勲さん(62)は総聯練馬支部顧問、練馬高麗長寿会の会長としての洪さんとの思い出を語った。洪さんが発起した練馬ウォーキング会「コッキトンアリ」の活動に携わった金さんは「どこにいくか決める際には、朝鮮とのゆかりがある場所を選び、高齢者もいるからと事前調査を徹底していた」とし、「一人暮らしの高齢同胞が寂しくないように鍋を用意して訪問もしていた。地域同胞社会を愛されていた方だった」と振り返った。

(高晟州)

Facebook にシェア
LINEで送る

洪永佑さんの連載〈朝鮮の風物・その原風景 〉