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〈関東大震災朝鮮人虐殺101年〉千葉・馬込霊園で追悼式/県知事と市長らが弔電

2024年09月02日 11:36 歴史 在日同胞 社会

“犠牲者の尊厳を回復させる”

関東大震災101年朝鮮人犠牲者追悼式が千葉県・馬込霊園で行われた

関東大震災101年朝鮮人犠牲者追悼式(主催=関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式千葉県実行委員会、主管=総聯千葉・西部支部、後援=日朝友好千葉県の会)が1日、船橋市営馬込霊園内の関東大震災犠牲同胞慰霊碑前で行われた。

総聯中央・権利福祉局の陳吉相参事、総聯千葉県本部の呉泳哲委員長、西部支部の呉学成委員長をはじめとする県内の活動家や同胞ら、日本市民たちが参列した。

西部支部が発行した「関東大震災朝鮮人犠牲者に関する資料」によると、101年前、千葉において現在の船橋市を中心に習志野市、市川市、八千代市、浦安市の地域一帯で官民一体の虐殺によって、少なくとも351人の朝鮮人が犠牲となった。

1947年の開始から今回で78回目となった追悼式では、参列者らが黙とうし、総聯分会代表、傘下団体代表たちと日本の市民団体代表らが献花を行った。

続いて、西部支部の呉学成委員長と日朝友好千葉県の会を代表して工藤鈴子さんが追悼の辞を述べた。

呉委員長は、千葉県における官民一体の虐殺に言及し、同胞らの怨恨を百年過ぎても永遠に忘れることができないと悲憤の念を語った。そして、関東大震災朝鮮人虐殺から101年が過ぎた今日の日本社会では、日本政府が当時の蛮行に対する真相調査や、犠牲者とその遺族たちへの謝罪と補償をしないばかりか、朝鮮敵視政策と在日朝鮮人差別によって迫害の風潮を助長していると糾弾した。

呉委員長は最後に、同胞社会の世代が代わっても、犠牲となった同胞たちの遺恨を伝え、日本政府に過去清算を要求する意志は変わらないとし、先代たちの精神を継承しながら犠牲者たちの尊厳を回復させることを誓った。

その後、船橋市、八千代市、鎌ヶ谷市、市川市、習志野市の市長らが式に寄せた弔電が紹介された。そして今回初めて、千葉県の熊谷俊人知事から弔電が寄せられたことが紹介された。

続いて、追悼の意を込めて千葉初中出身の朝鮮大学校学生らが「故郷の春」を歌い、朝大・民族管弦楽部の李碩晙さん(文学歴史学部2年)が郷ピリで「アリラン」を演奏した。

郷ピリによる「アリラン」が演奏された

最後に、参列者らが慰霊碑の前で焼香をあげた。

松戸市議会のミール計恵議員(日本共産党)は、映画「福田村事件」の原作者である辻野弥生さんの講演会をきっかけに千葉における虐殺を学び、松戸市で追悼式を準備する過程で本追悼式のことを知った。「強制連行され、牛馬のように働かされたうえ、震災時に虐殺された人々や、それを認めずに何もしない政府を思うと怒りがこみあげてくる」というミールさんは「松戸市の市史には加害者については明らかにされているが、犠牲者の数については記されていない。また政府は史実を隠し、加害者としての視点を打ち消そうとしている。市議会の若手議員にも日本の侵略戦争を美化する傾向がある」と危惧する。そのうえで「真相調査を行い、記録し、追悼していきたい。加害者としての責任を果たし、真相究明から反省へ、そして友好へと繋げたい」と話した。

鄭健秀さん(58)は馬込霊園に家族の墓所があり、訪れるたびに関東大震災犠牲同胞慰霊碑にも焼香している。先代たちが虐殺された歴史を認めない日本政府について「許せないことだ。日本政府は昔から加害の歴史を隠し通してきた」と、鄭さんは言う。「歴史は、後代に伝えなければ忘れられる。ここを訪れて虐殺の歴史があったということを実感することが大切だ。次世代たちがこうした追悼の意義を踏まえ、参加する伝統を守ってほしい」(鄭さん)

(高晟州)

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