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〈引退インタビュー〉20年間の現役生活に幕を下ろしたベガルタの「10番」/梁勇基

2024年08月30日 13:15 スポーツ

大好きなサッカーで負けたくない

インタビューに応じる梁勇基さん(撮影=盧琴順)

2004年にベガルタ仙台に入団して以降、在日同胞プロサッカー選手として、長年にわたってJリーグや朝鮮代表で活躍した梁勇基さん(42)。精度の高いキック、冷静な判断力と豊富な運動量を持ち味に、仙台(18年)、鳥栖(2年)でプレーした鉄人は、昨年ユニフォームを脱ぐ決断を下した。同胞、サポーターたちに愛された「ベガルタのレジェンド」に、これまでの競技人生とこれからについて聞いた。(聞き手・全基一)

-現役引退を決めた理由について。

ベガルタ仙台に入団したときは30歳まで続けられたらいいなと思っていた。20代の中盤にはレギュラーとして試合に出られるようになって、35歳まで現役をと思うようになり、35歳を過ぎると、あと1年、もう1年と欲が出て、サッカーを続けたくなった。しかし、40歳を迎えて次のステップを考えたとき、引退が近づいているなと少しずつ感じていた。

晩年には、プレーの感覚が周囲の選手とずれることが増え、今まで正しいと信じてきた自分の感覚がおかしいのかなと思うようになった。プレーに対して自信が落ちていったことが引退の決め手になった。

-大阪朝高(当時)在学時には、朝高サッカー部史上初のインターハイ出場を遂げた。

朝高サッカー部時代は、地獄のような3年間だった(笑)。でも、同じ目標に向かって同級生、先輩、後輩と切磋琢磨しながら、どんなにしんどい練習も皆で乗り越えたからこそ、インターハイに出場することができたと思う。

当時の朝高サッカー部の監督だった金正海監督は、選手たちに口酸っぱく「人間が曲がっているからボールがまっすぐ飛ばへんのや」と指導していたことを覚えている。生徒たちの人間性を高める指導が印象的だった。

-テスト生としてベガルタ仙台に入団し、プロ契約を勝ち取った。

プロサッカー選手になると強く思い始めたのが大学の頃だった。ベガルタ仙台にテスト生として入団したときは、日本でプレーするのを諦めていた部分もあった(※)。しかし、練習に参加しながら、プロの契約を勝ち取ることができたら今後、このチームで自分の力を発揮するチャンスは十分にあると手ごたえを感じていた。

現役時代の梁勇基さん(写真は2009年、©︎VEGALTA SENDAI)

-現役生活のなかで印象に残っている試合は。

個人的に印象に残っている試合は3つあって、1つ目はプロ初ゴールを決めた04年の京都パープルサンガ戦(現・京都サンガF.C.)。地元・関西での試合で、家族や友人も観戦に来てくれた。その試合で、久しぶりにスタメンで出場し、当時上位に位置していたサンガを相手に点を決めて勝利することができたのは、自分のアピールになったし、自信につながった。

2つ目は、

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