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〈記憶を歩く〉鳥取・在日朝鮮人1世/李圭錫さん(91)

2024年08月17日 06:34 記憶を歩く

祖国解放から今年で79年、在日同胞コミュニティーの形成初期を知る多くの同胞たちがこの世を去った。それは同時に、祖国の分断に苦しみ、植民地宗主国・日本に暮らすという構造的抑圧のなかで生涯を終えた朝鮮人たちが数多く居ることを意味する。このような先代たちの記憶と営みは、明日を担う次世代が、自分たちのルーツについて考え、または向き合った際、欠かせない視点となるのではないか。そしてかれらの声を記録することは、同じルーツをもつわたしたちの役目ともいえるのではないか―。【連載】「記憶を歩く」では、今を生きる同胞たちの原点ともいえる在日朝鮮人1世たちの声から、「ウリ(私たち)」の歴史を紐解く。

貧しさ乗り越え同胞助け

李圭錫さん

「ご存命の2人の一世同胞をぜひ紹介したい」。総聯鳥取県本部から弊社にこのような連絡が届いた。

取材対象となる一世同胞探しに苦慮する中、とてもありがたい情報をいただき、さっそく2人の一世同胞を伺った。今回はその1人目、李圭錫さん(91)を紹介する。

7月上旬から異常気象が日本列島を襲い始めた。各地で豪雨や雷雨が発生し、土砂崩れの犠牲になった人々もいる。

7月9日、一世同胞たちに会いに鳥取県米子市のJR米子駅を訪ねたこの日は、異常な大雨だった。「まあ、とんでもない日に取材に来たね」と、総聯鳥取県本部の朴栄致委員長が車で出迎えてくれた。

米子駅から10分少しで、李圭錫さんの息子が営む焼肉屋「きくや」に到着した。お店の中に入ると、大雨の影響で到着が遅れたのにもかかわらず、李さんが暖かい笑顔で迎え入れてくれた。

李圭錫さんは1933年2月18日、慶尚北道慶州郡で産まれた。先祖は朝鮮王朝時代に高い地位を確立した旧家で、産まれる前の家は何百人もの使用人を抱える屋敷のような場所だったという。しかし、「日本の植民地支配により、家も財産もすべてダメになった」。

李さんは父親とその愛人の間に産まれた。小さい頃に父親は一人で渡日し、一身上の都合により身元を追われていた母親は村の裕福な男と中国へ駆け落ちした。李さんときょうだいは4歳の時に母親に捨てられ、それ以来、実の母親と再会することはなかった。捨てられてから1カ月後

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