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間島虐殺経験から見る関東大震災時朝鮮人虐殺/愼蒼宇さんが講演

2024年06月06日 09:00 歴史

史実に向き合う社会に

関東大震災時朝鮮人虐殺の事実を知り追悼する神奈川実行委員会(以下、実行委)が主催した講演会(5月25日)では、法政大学教授の愼蒼宇さんが講師として登壇した。愼さんは、関東大震災時の朝鮮人虐殺の主体が、軍隊、警察、自警団であることを改めて確認しながら、当時の虐殺を考察するうえで日本軍の朝鮮駐屯経験に問題意識を向け、間島虐殺という「前史」に着目する重要性を説いた。

愼蒼宇さん

なぜ「前史」研究なのか

講演冒頭、愼さんは日本軍の朝鮮駐屯経験についての問いは、朝鮮史研究者の中から出てきたものだとして、第1人者である姜徳相さんについて言及した。「姜先生の問題提起の根底にあるのは、流言の発生要因に関する分析だ。先生は、流言が民衆から自然発生的に出たのではなく、民族独立運動を展開する朝鮮人を敵視する『官憲』グループの中でその源が発芽したとみていた」。姜さん、そして民衆犯罪を考察する必要性を説いた矢沢康祐さんという2人の朝鮮史研究者らが示したのは、▼朝鮮(シベリアも含む)での軍隊・警察の植民地戦争経験を明らかにすること、▼民衆の植民地戦争経験と地域での虐殺への具体的な反映という2つの論点であった。愼さんは「近年の研究で、こうした問いがまったく生かされていない」との問題意識を持つようになったと、研究に至った背景に触れた。そのうえでこの間、「日本軍上層部と全国師団配下の郷土部隊の植民地戦争経験について論証」するなどして、1つ目の論点を深化させてきたと話した。

今回の講演では、先行研究者である姜・矢沢の両氏が「関東大震災時の朝鮮人虐殺に最も直接的に影響があった」と共通して指摘した間島虐殺について、その実態と理論および手法、参加した軍隊と関与した陸軍上層部、という2点から関東大震災とのかかわりを考察した。

実行委が公開した虐殺に関する資料を確認する参加者たち

間島虐殺の理論と手法

愼さんは、間島の地理的位置を確認しながら、間島虐殺のあらましを説いた。

間島とは、現在の中国吉林省東部、朝鮮民主主義人民共和国との国境に近い延吉一帯の旧称で「大韓帝国末期から抗日義兵戦争を闘ってきた朝鮮人が多く流入」した地域だ。当時、多くの「独立軍」が北・西間島地域に結集したことで、間島は民族運動の拠点と化していった。

日本軍は、この動きを弾圧するため間島への出兵を経て、間島虐殺という蛮行に及んだ。

1920年10月26日までの戦闘で、独立軍が勝利した青山里の戦い後、日本軍は当核地域の朝鮮人全体を「不逞鮮人」とみなし同年12月にかけて激しい報復的弾圧を行った。20年12月までの1ヵ月以上のあいだに約3千人の朝鮮人が虐殺されたこの弾圧を、「間島虐殺」と呼ぶ。

愼さんは、この虐殺の理論と手法について、当時の史料などから具体例をあげて解説した。

解説では、当時、日本軍が出兵を閣議決定する際に大きな影響を及ぼしたのが、齋藤実朝鮮総督から内田外務大臣にあてた電報(21年10月6日)で、そこでは「在留邦人の保護」を目的に「不逞鮮人の討伐」に言及。翌7日、日本政府は「自衛上やむなし」という論法で、出兵を閣議決定した後、「賊の殲滅」「資源を覆滅」する朝鮮への軍事行動が展開された。愼さんは、この論法は「まさに日本軍が日本の植民地防衛戦争だと捉えていたことがわかる」と指摘した。

その他にも同氏は、日本軍による間島虐殺の理論と手法として、▼村落連座制による虐殺と村落焼夷、▼海外からの批判を恐れ、表面上は抑制しながらも迫害を正当化したと説明した。

関東大震災時虐殺との連続性

講演終盤、愼さんは間島虐殺と関東大震災時の朝鮮人虐殺のかかわりについて間島虐殺当時の陸軍上層部に着目し説明した。間島虐殺当時、陸軍首脳だった田中義一(陸軍大臣)、山梨半造(陸軍次官)は三・一独立運動、間島虐殺、関東大震災があった期間、役職が維持された。同じく陸軍首脳である福田雅太郎(参謀次長)は関東大震災時に戒厳司令官を務めている。愼さんはかれらが軍事行動をとることを共通して判断した点で、間島虐殺と関東大震災の経験の継続性を指摘。間島虐殺の事実上の作戦責任者だった大庭二郎(朝鮮軍司令官)は、関東大震災時に陸軍大臣官邸で行われた軍事参議会議に参加していた人物の一人で、甲午農民戦争から植民地戦争の経験があるなど、最前線で討伐に従事していた点で、「間島虐殺から関東大震災への強い連続性がある」と説いた。

そのうえで愼さんは、「日本軍の間島虐殺をはじめとする植民地戦争経験の上に『朝鮮人暴動」という『黒き幻影」が関東大震災時に作り出され、軍隊・警察・自衛団によって無実の朝鮮人が『連座」で『討伐(虐殺)」されたと捉えることができるのではないだろうか』と講演を結んだ。

実行委の山本すみ子共同代表は、関東大震災時の朝鮮人虐殺と関連し、これまでその史実を知らなかった人たちにも、こうした講演会やフィールドワーク、日ごろの働きかけなどを通じて広く伝えていく必要があると述べながら「真相究明や史実に向き合う社会をつくるをために今後も地道に伝えていきたい」と語った。

(李紗蘭)

 

 

 

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