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〈朝大専門家の深読み経済8〉企業の目的「利益の先の何か」(上)/趙丹

2024年03月27日 10:37 寄稿

2005年に発足した在日本朝鮮社会科学者協会(社協)朝鮮大学校支部・経済経営研究部会は、十数年にわたって定期的に研究会を開いています。本欄では、研究会メンバーが報告した内容を中心に、日本経済や世界経済をめぐる諸問題について分析します。今回は、財務管理論、経営分析論を専攻する朝鮮大学校経営学部の趙丹教授が、コロナ禍によって企業の目的がどのように変貌しているかについて(全2回)解説します。

〜パンデミックで迫られた選択と決断から〜

4年前の4月、新型コロナウイルスのパンデミックにより、企業はこれまで経験したことのない速さと頻度で、様々な選択と決断に迫られた。ウイルスを抑えるための基本は人と人の接触を減らすこととされ、経済活動をはじめあらゆる活動が制限された。

そんな中で企業は、休むべきか否か、休まないとすればどのように活動し、従業員にはどのように働いてもらうか、在庫や仕入れはどうするか、資金繰りはどうするか、政府や自治体の要請にどこまで応じるか、など、先行きが読めない不透明な状況で数多くの決断を迫られた。

緊急事態宣言がはじめて発動されたとき、ある同胞焼肉店経営者は従業員の命が大事だとして全店休店を決めた。都心一等地の店舗の運営費は二の次と判断した。また、別の同胞焼肉店は、肉が売れず困っていた仕入先のために売れ残り在庫をすべて一括で大量に買い取る決断をした。店舗は休んだが、仕入れた材料から焼肉弁当やホルモン丼をつくり、ウーバーイーツで販売した。人気化し、活動自粛の中でも売上が伸びたばかりでなく、仕入先との信頼関係が岩盤となった。

あるパチンコ店経営者は従業員と顧客の安全を優先し全店舗一斉休業を決断した。従業員には雇用の維持と給料の全額支給を約束し、ゆっくり休み家族との時間を大切にするよう指示した。宣言が解除され営業が再開されると、従業員のやる気と忠誠心が高まり強い組織に変貌した。真逆の決断をして、ネット右翼や権力者の格好の標的とされながらも、コアな顧客と大きな収益をゲットしたパチンコ店もある。

企業の経営は経済学のメカニズムや本質論だけでは語れないところがある。いろんな利害の中でいかにバランスをとった意思決定を行うかが問われるし、そのバランスの正しい答えも一つとは限らない。

グローバル企業とパーパス

矢継ぎ早の決断に迫られたからこそ、コロナと対峙したあらゆる企業が、業種や規模の大小を問わず、判断の指針とすべく、次のことをただちに問い直した。「自社にとって大事なものは何か」、そして「ステークホルダー(利害関係者)のうちだれを優先するか」。

この問いに関連して、グローバル企業の経営者たちやビジネススクールの教授たちが好んで使うようになった言葉が「パーパス(Purpose)」である。パーパスとは直訳すると「目的」であり、資本主義において企業の目的は「利益(Profit)」であることが自明なので、本来は「企業のパーパスは利益である」で話は終わってしまう。しかしながら、あえてパーパスという言葉を引っ張り出してきたのには一定の意味があると考える。

いま使われるようになったパーパスという言葉には「Purpose beyond Profit(利益の先の目的)」という含意がある。つまりは、株主の利益は前提としつつも、その先の何かを目指すべきだという考え方が含まれている。それで、パーパスを「目的」ではなく「存在意義」と訳す場合も多くなった。では、その「その先の何か」とはなにか。

米主要企業の経営者団体であるBRTが「企業のパーパスに関する声明」を発表した(写真は経営トップらの署名)

パーパスがグローバルなビジネスシーンで浸透したきっかけは、2019年8月、アップルやアマゾンなどの181人の経営トップが名を連ねる米主要企業の経営者団体、ビジネス・ラウンドテーブル(BRT)が「企業のパーパスに関する声明」を発表したことだった。BRTはそれまで、企業のパーパスは「株主利益の実現」とする立場をとっていたが、これを改め、すべての利害関係者に対してコミットすると表明した。

すなわち、企業は、顧客への価値の提供、従業員の能力開発への取り組み、サプライヤーとの公平で倫理的な関係の構築、地域社会への貢献、そして最後に株主に対する長期的利益の提供を行うこと――が明示されたのだ。これを踏まえると、「利益の先の何か」とは、利害関係者との関わり方や利害関係者に対して生み出す価値、つまりは社会的意義や社会的価値のことであると捉えることができる。

パーパス経営の実践と「実践」

グーグルはかねてよりミッションとして「世界中の情報を整理し、世界中の人がアクセスできて使えるようにする」と掲げているが、これがパーパスにあたる。2003年に、図書館にある蔵書をすべてスキャンしデジタル化するプロジェクトが始まった時、パーパスに対する本気度に驚かさたものだ。その後、カメラをつけて世界中のあらゆる道路を走り回るという途方もない作業もパーパスの下で遂行した。いまではグーグルブックスとグーグルマップ、グーグルアースとして世界中で利用されるサービスに発展している。

グーグルは加速度的に成長し株式市場からも高く評価された。高い株価を背景に企業買収を繰り返し巨大化し続けている。すべてはパーパスから始まったといっても過言ではないし、多様な事業と天才たちを同じ組織にとどめる求心力はパーパスの力であろう。

ナイキは「スポーツを通じて世界を一つにまとめ、健全な地球、活発なコミュニティ、そしてすべての人に平等なフィールドをつくること」をパーパスとしており、これをブランディングにも貫いてきた。同社は、2018年に「Just do it.」というスローガン採用から30周年を迎え、「DREAM CRAZY」というプロモーションを展開した。そのなかで、アメリカのプロフットボールリーグ(NFL)で活躍したコリン・キャパニック氏を広告に起用したが、かれは2016年の公式戦で、人種差別に抗議するために国歌斉唱中に膝まずく姿勢を示し、NFLを追放された人物だった。かれを起用し、「何かを信じろ。たとえそれが全てを犠牲にしても」という広告を打った。ジャストな反応として、一時不買運動が巻き起こった。しかし、その後、多くの有名人や一般ユーザーがSNSを通じで支持を表明するなど人々の共感を呼ぶこととなった。その後、株価も最高値を更新し続けている。

ナイキのCMに同胞の女子学生が登場し話題となった(CM 「動かしつづける。自分を。未来を。篇」から)

2020年末、ナイキのCMに在日同胞たちがざわついた。差別や偏見、いじめに悩む3人のサッカー少女が出演したこのCMに、同胞の女子学生が登場したのだ。チマ・チョゴリを着て妹と手をつなぎ登校するシーンがあまりにもリアルだった。先鋭化する差別を取り上げたからこそ、ナイキの本気が伝わってくる。もちろん、これはナイキのマーケティングの一環で利益を追求してのことだが、先にあげたパーパスを貫いて行われたキャンペーンである。

ユニクロを展開するファーストリテイリングは、コロナ禍において「服の領域で社会を支えるインフラになる」とパーパスを再定義した。医療ではなく衣料からもパンデミックの世の中を支える存在となるべく、マスクも生産・販売するようになった。そして希望する学校にはマスクを配布する活動を展開したが、現場レベルでは「朝鮮学校は除外する」という差別的な措置が取られた。朝鮮新報では、若手記者が中心となり社会的責任論から同社を批判する論戦を張り立派に戦った。結果、ユニクロマスクは結果的に朝鮮学校にも配布されることとなった。

私は、同社をさらにメタるためには、自ら再定義したより世の中のためになるというパーパスすら現場まで浸透させられないのは世の中に対する見方が間違っているからだ、同社にとって社会とはなにか、そこで在日朝鮮人をどうとらえるかという側面から批判を展開すればさらに意義があったと考える。

同社の事例は崇高に表明されたパーパスが形式的に「実践」される可能性があることを示唆し、それゆえ、企業のパーパスは形式的なものと捉えられたり、単なる美辞麗句に過ぎないと一刀両断する批判も出てくる。しかし、在日朝鮮人経営学者として私が関心とするところは、そんな中で「自社は」、「私は」、「同胞企業は」どうしたらよいのかという点である。次回はこのことについて取り上げたい。

(朝鮮大学校経営学部教授)

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