〈ものがたりの中の女性たち77〉「すぐに私に知らせなさい」―成進士の妻
2024年03月11日 09:00 寄稿あらすじ
光海君の治世、成(ソン)夏(ハ)昌(チャン)という進士がいた。裕福で名のある両班の家系であり、幼少期からその頭の良さは有名だったが、生来の怠け者の上に無能である。しかし名門の両班家出身の妻は賢い上に美しく、家事も良くこなし、裁縫も料理の腕も立派だ。ただその性質は荒く、少しでも気に沿わないと罵り、時には回草里(フェチョリ、教育用のムチ・子ども用のムチ))でふくらはぎを打つので、夫は恐れ慄き抵抗もできず言うがまま。権威はすべて妻にあり、使用人も皆妻に従う。
現状に耐えかねた夫は、ある日親戚の家に逃亡する。しかしその翌日、妻が籠に乗り追いかけてくる。使用人に命じてその親戚の家を荒らし、家財道具を破壊。怖気づいた親戚は夫を差し出し謝罪すると、ようやく妻は夫を連れて帰宅する。罰として夫のふくらはぎを三十回叩き、数日屋根裏部屋に閉じ込める。それ以降、親戚は成進士が逃げて来ても、決して門を開けなくなる。
またある日、遠く南方に奴婢の実家があることを思い出した夫はまた逃げるが、たちまち籠に乗った妻が追いかけて来る。妻は奴婢一家を捕えて罰を与えた後、夫を馬に乗せて帰郷する。成進士は屋根裏部屋に数ヵ月監禁される。成進士の友人は彼を案じ怒るが、どうしようもない。数年後、妻は病で早逝、友人たちは喜び成進士を訪ねると、進士は友人たちが弔問に来たと思い哭声をあげる。すると友人の内のひとりが、こんなめでたい日に哭声をあげるなと進士の頬を打ち、一同が成進士を囲み爆笑する。
第七十七話 猛々しい妻
野談集「天(チョ)倪(ネ)録(ロク)」(任(イム)埅(バン)1640~1724)に収録された「成進士悍妻杖脚(人皆欲教)」である。
野談や説話、古典小説などに、気性の激しい女性は時々登場する。浮気を続ける武人である夫の髭を切ってしまう妻や、戦場で畏れ慄く夫の頬を打つ妻、両親に二人の仲がばれてしまったらどうしようかと不安がる恋人にさっさと塀を越えて来いと叱咤する少女、あの春香でさえ自分を捨てて行こうとする夢龍に、髪をかきむしり、自分のチマを引き裂き、彼からのプレゼントを投げつけ叫ぶのだ。別れるなら自分を殺して行けと。
成進士の妻が特異なのは、日常的に夫を子ども扱いし、子に罰を与えるように自分が直接夫のふくらはぎを回草里で叩いていたことだろう。
「人は皆教えたがる」という作者任埅による副題は、示唆に富んでいて考えさせられる。
無能な夫、優秀な妻
「夫が逃げて来たのなら、なぜ人をやって私に知らせないのですか」
科挙を受けない(受けても落ち続ける?)、定職に就かない(就けない?)、書を読まない、遊び人のようにぶらぶらしている夫。どんなに諭しても一向に変わらない夫に、元々気性の荒い妻は、その行動をエスカレートさせていく。
「少しでも意に沿わないと大変なことになる。衣服は破られ罵られ、回草里(フェチョリ)で打たれ、屋根裏部屋に閉じ込められる。戸の隙間から食事を与えられ、妻の機嫌が直ると許される。情けなく、腹も立つが、成進士は妻の機嫌を損なうことをいつも恐れ慄き細心の注意を払う」。気弱く無能な夫はとうとう家から逃げ出してしまう。輿に乗り追いかける妻は、夫がどこに隠れているかお見通しである。
夫が逃げ込んだ親戚の家では、なぜすぐに知らせないのかという彼女の言葉に何も言い返せない。親戚の家での暴挙も、使用人に命じて家財を壊しているところを見ると、回草里以外は妻は直接夫に手をあげない。取り押さえるよう「命じて」いるようである。
ふくらはぎを打つ罰は、当時は暴力とは違う意味も持っていた。ひと昔前までは「愛の回草里」という言葉もあるほどで、今でも回草里の販売があり深く生活に根付いている。回草里で打つということは、現代では子どもにとって虐待であるとの議論があり、封建時代の「教育方法」を取り入れる必要はないと多くの人々が主張している。
朝鮮王朝時代には「教育的な指導」として子どものふくらはぎを叩き、それがあまりにも日常的に身分の上下関係なく行われていた結果、「회초리를 들다(回草里を手に取る)」という言葉は、「躾ける」、「指導する」、「教える」という意味に転じてしまった。妻は、怠け者で無能な夫を「教育」して、立派な士大夫にしなくてはならないと使命に燃えていたのだろうか。いくら自分自身が優秀でも意味はなく、夫が「立派」であってこそ「賢夫人」と呼ばれ、そのために努力することが「婦道」なのだと、名家出身の妻は固く信じていたのだ。
体罰は暴力
竹などで作った固い回草里でひどく打つと、子どものまだ柔らかいふくらはぎはすぐに皮膚が裂け血だらけになり、長い間傷跡も残る。本来子どもに対する罰として行われていたが、いつしか社会的に地位が高い者が低い者を屈辱的に「罰し」、見せしめにするため回草里で打つことが常態となっていく。義母が嫁を、上司が部下を、雇用者が被雇用者を、というように。
昔、筆者が学生たちに「夫のふくらはぎを打つ妻の野談」を話した際、彼らの反応が印象深かった。男子学生ばかりの教室は怒りに満ち、声を出して「その妻」を罵る者までいた。朝鮮王朝時代の犯罪記録にある、夫が罪のない妻を惨殺した事件の事例の説明時には眉を顰め同情する者はいても、声に出して怒り出す男子学生はいなかった。
「天倪録」に登場する成進士の友人たちも、「もはや法律で離婚させるしかない、こんな女(妻)は法も無視するから離婚すまい、追い出して殺すしかないが、まさか殺害することもできない、と口々に進士の妻を罵り、皆ため息をついて帰るしかなかった」とある。成進士の妻が夫を屋根裏部屋に監禁したが、食事を与えなかったわけではない。汚れた馬小屋や物置に閉じ込め水も与えなかったわけでもない。拳やこん棒でしたたかに殴ったわけでも、刃物で刺したわけでも、毒を盛ったわけでも、厳冬の屋外に放り出したわけでもない。姦通や謀反をでっちあげ官に密告したわけでもない。
日頃からうるさく「両班の心得」を説き、逃げ出すとどんなに遠方でもはるばる「迎えに」行った。罰として冠を脱がせたが、歩かせ引きずったわけでもなく、馬に乗せ帰宅し子どもを戒めるような回草里で三十回打ち据えたのだ。体罰は子どもにであれ、大人にであれ暴力に他ならない。暴力は体だけを傷つけるのではなく、人としての尊厳を傷つけ心を殺してしまう。彼らの怒りはもっともなのである。
(朴珣愛、朝鮮古典文学・伝統文化研究者)