〈読書エッセー〉晴講雨読・小説『四千万歩の男』と『金正浩』(上)/任正爀
2024年01月31日 09:00 寄稿近代以前の朝鮮と日本で、最も正確な地図を作成した人物はよく知られているように金正浩と伊能忠敬で、小説の主人公にもなっている。カン・ハㇰテ『金正浩』と井上ひさし『四千万歩の男』がそれである。
歴史小説とは「過去の時代を舞台として、史実を主題あるいは背景とした小説」(『広辞苑』)であるが、そこに描かれる人間像によってシリアスな大河小説から大衆娯楽小説までその性格は実に多様で、その二冊は両極端ともいえる小説である。
小学生の時、人気を博したテレビ番組に『ひょっこりひょうたん島』という人形劇があった。小学生が遠足に訪れたひょうたん島の火山が噴火、島が漂流し様々な世界と遭遇する。なかには神様の世界もあり、ちょっと荒唐無稽な話であるが、多彩な人物が登場して面白かった。後に原作者が井上ひさしだと知った時、ちょっと驚くとともになるほどと感心したことがある。
井上ひさしはベストセラー作家として知られているが、ユーモア溢れる小説から、以前紹介した原爆問題を題材とした『父と暮らせば』まで、その作品は幅広い。そんな井上ひさしの代表作の一つが『四千万歩の男』である。
主人公の伊能忠敬(1745~1818)は養子に入った伊能家の家業を立て直し50才で隠居する。そして、江戸に出て幕府天文方・高橋至時に師事、56才の時から日本全国の測量に着手して、74才で他界するまで「大日本沿海実測全図」の製作に没頭した人物である。題名の四千万歩とは、この実測の距離を、二間を一歩で換算した歩数である。
作者は、たいていの人が退職後も20年、30年と生きなければならなくなり、人生の山が二つにも三つにもなったが、この人生二つの山を見事に生きた人物の一人が伊能忠敬であるとして、独自の視点で娯楽小説に仕立て上げた。
忠敬が地図を製作したのはそれ自体に目的があったのではなく、実測に基づく緯度一度の距離を知りたかったためである。緯度一度の距離とは、北に向かいながら北極星の見える角度を測り、それがちょうど一度変化する時の移動距離のことであるが、それが正確にわかれば地球の周囲の距離がわかる。日本では、まだ誰も正確には出せていない値を知ることになり、自分の名前は歴史に残るだろう。まさに、人生二山である。
そして、その方便として蝦夷の地図を作成することになるが、忠敬はそれについて克明な測量日記を残している。作者はそれをもとに行く先々に様々な事件をちりばめて、話を展開していく。登場人物も当代のオールスターで印象に残った人物を何人かあげるならば、実直な幕府天文方・高橋至時、野心に燃える間宮林蔵、人生を達観した木食上人、武士を相手に大阪商人の意地を見せると同時に壮大な宇宙論を語る山片蟠桃、才気溢れる少年二宮金次郎、『浮世道中膝栗毛』の十返社一九、浮世絵師・葛飾北斎などなど、そのエピソードの一つひとつが実に巧みで面白い。
これを娯楽小説とするゆえんであるが、もちろんそれに尽きるものではなく、人生二山という現代的問題意識を投影させながらも、同時に歴史の確かな風景を描いている。さらに、当時の天文学などの科学史的事項に関する記述も正確で、研究者も脱帽といった感がある。
余談であるが、筆者は18世紀の実学者・洪大容の無限宇宙論を研究課題としてきたが、日本でそれと類似の宇宙論を展開したのが山片蟠桃である。そして、日本における山片蟠桃研究の第一人者といえるのが、末中哲夫先生である。先生には思文閣出版に拙著『朝鮮科学史における近世―洪大容・カント・志筑忠雄の自然哲学的宇宙論』の推薦状を書いていただくなど、何かとお世話になった。いつかは、先生の著書についても紹介したいと思っている。
さて、ある伊豆の宿場町、大達磨を描き宿賃を稼いだ葛飾北斎が、十返社一九が弥次・喜多道中記の発想を忠敬の測量道中によって得たことを知り、忠敬にそれを尋ねる場面がある。「なにゆえの問いか」という忠敬に対し、北斎は浮世絵では邪道とされているが人物を添え物にした風景画を描きたい、それを人々がどのように受け取るのかが気になるという。忠敬は即座に人々の心は外に向かっていると答える。
「蝦夷地へと往復して、そんな考えを持ちました。まず、豊富に出回る諸国物産が人びとの心を領国の外へと向かわせる。さらにこの日の本の国を異国の黒い船が遊弋している。そこで、陸奥の国の人びと、蝦夷地の人びと、ともに心を日の本の外へと向けつつある、そう思った。この先、人びとは心ばかりではなく、己が足を他領にむけ、身体を他領へと運ぶことになるのではないか。つまり旅がさかんになるかもしれぬ。とすれば旅行記などが大いに受ける時節になるかもしれん…一九さんにはたしかにこうお話ししたと思います。」
18世紀の世界の特質として、旅行手段の発達と多くの旅行者の出現、地理学・天文学・歴史学の進歩、異なる文明・宗教・風俗の発見、その発見に伴う相対主義的世界観の展開、事物に則した実学の進歩などが指摘されている。まさに、そのような時代のなかで、日本や朝鮮でも正確な地図の作成に情熱を燃やす人物が登場する。
筆者がこの小説に期待したのは、面白いことが前提であるが、作者が科学史的史実をどのように描くのか、特に時代のキーワードをどのように提示するのかにあった。そんな筆者にとってその場面はそれだけで一読の価値があるものであった。
ただ、あまりにも克明に描いたため刊行された蝦夷編・伊豆編は構想の七分の一に過ぎず、残念ながら作者が他界し未完となった。講談社文庫全5巻の長編ではあるが、逆に考えれば長く愉しめる。
ところで、高橋至時を継いで天文方となった景保は、伊能図を基に『日本辺海略図』を作成し、幕府に献上している。注目すべきは、朝鮮半島右の沿海を「朝鮮海」と表記していることである。日本は「日本海」を主張しているが、近代以前のもっとも信頼性の高い地図では異なっていたのである。この地図は時代劇にしばしば登場するある事件の発端となっている。それに関しては稿を改めて述べることにしたい。
(朝大理工学部講師)