〈続・歴史×状況×言葉・朝鮮植民地支配と日本文学 62〉佐多稲子②
2024年01月03日 12:53 寄稿侵略と戦争を防ぐ、反省のあり方
佐多稲子は、1940年6月、朝鮮総督府鉄道局の招待で、壷井栄を誘い朝鮮を旅行する。「朝鮮ブーム」とともに「内鮮一体」「日鮮融和」を促進したい当局の思惑を背景に、佐多も朝鮮体験をもとにした5篇の随筆を書いた。「(開城の)この朝鮮らしさの灰色の感じは安心して朝鮮の古さに生きている誇りをさえ感じさせた」(「朝鮮印象記」)という述懐は、植民地朝鮮を「灰色」が表す「古さ」や停滞性のみで表象し、それを「朝鮮らしさ」とステレオタイプ化する、近代化した宗主国人の優越意識をなぞるまなざしにほかならない。「安心」し「誇り」としているのは、当の朝鮮ではなく、そうしたイメージに朝鮮を閉じ込めている日本人の佐多自身であったろう。