〈在日発、地球行・第3弾 6〉運命を共にした記憶/モザンビーク
2023年11月06日 12:00 在日発、地球行過去の連載記事はこちらから▶︎ 在日発、地球行・〈第1弾〉、 〈第2弾〉
真の独立への長い道のり
首都マプトに戻り、次なる目的地を隣国のジンバブエに決めた。宿で聞いたところ、移動手段には飛行機もしくは列車がある。空路であればジンバブエの首都ハラレまで1時間半で行ける。一方、陸路の場合、国境超えと列車の乗り換えを含め約1日半かかるが、コストは空路の10分の1以下。ただし、国境で乗り換える列車が数時間遅れたり、国境警備隊にワイロを要求されるケースもあるという。

マプト中央駅の構内。この駅からジンバブエや南アフリカなどの近隣諸国へと向かうことができる。
陸路でのジンバブエ入りにはリスクが伴うものの、好奇心の赴くままマプト中央駅に向かった。国境付近の町までのチケットは、1等客席が15ドル(約2千500円、簡易ベッド2つとテーブル付)。2等(ベッド4つ)以下は安全面が若干懸念されたので、1等チケットを手にして列車に乗り込んだ。
列車は定刻から2時間遅れの午後3時に出発した。外を眺めていると、地方に向かうにつれ藁葺きの家が目立つようになり、人々の厳しい生活の一端を伺い知れた。

ベッド2つと簡易テーブル付の1等客席(約2千500円)
「世界最貧国」の一つとされているモザンビーク。だが、この国には長年にわたる貧困と搾取から抜け出そうとした闘争の歴史がある。車窓の奥に広がる風景を目にしながら、この国が歩んできた苦難の道のりを考えずにはいられなかった−。
モザンビークは75年6月にポルトガル植民地からの独立を成し遂げた。解放闘争を繰り広げたモザンビーク解放戦線(FRELIMO、フレリモ)は植民地支配の負の遺産や帝国主義の影響力を一掃し、社会の変革を成し遂げないことには真の独立を勝ち取れないと認識していた。このため反帝自主を掲げる国々との連帯を強化する一方、大衆の政治意識を高め、人々が国内政治や経済に積極的に参加するよう促した。
しかし、モザンビークと国境を接する南アフリカとローデシア(現在のジンバブエ)の白人政権、両政権と結びつく帝国主義諸国にとって、南部アフリカ地域の黒人解放組織と連携していたフレリモの影響力拡大は「脅威」とみなされた。

モザンビーク独立に際して行われた集会。解放闘争を繰り広げたモザンビーク解放戦線は独立後も闘争を続けた(同国独立に際してフレリモが発刊した冊子から)
モザンビークは、隣国の白人政権から支援を受けた反政府組織が住民虐殺や破壊行為、政権転覆活動を繰り返したことにより、独立からほどなくして内戦状態に突入。国内経済が危機的状態に陥り、米国主導の国際通貨基金(IMF)や世界銀行の融資に頼らざるを得なくなった。
ところが「援助」を受け入れるほど国内政策に対する西側からの要求が増し、独立前から重視していた教育や福祉分野の支出削減まで迫られるようになった。結果的にかねてより抱えていた債務問題は悪化。こうして今日には、豊富な資源を持ちながらも「世界最貧国」の一つに数えられている−。
夕暮れ時、車窓の向こうには学校帰りであろう子どもたちの姿があった。子どもたちは列車がスピードを緩めるとこちらに駆けてきて、線路横を並走しながら何かを叫んでいた。そんなかれらに向かって笑顔で手を振っている旅行者たちがいた。
苦境に届いた支援

マプトから列車に乗り、半日以上をかけて国境付近の町に到着した
翌朝8時、列車は国境付近の町に停まった。モザンビーク側の出入国管理施設に入ると、中年くらいの男性3人がいた。仕事のため両国間を頻繁に行き来しているモザンビーク人の親子だった。
ここで衝撃の事実を耳にした。ジンバブエ側の国境からハラレへと向かう列車が運行停止になっていたのだ。コロナ禍の影響で乗客者数が激減したためだという。
しかし、すかさず長男のレノックスさん(45)が助け舟を出してくれた。自分たちが乗る予定のピックアップトラックが近くの町まで向かうという。その町で長距離バスに乗り換えれば、ハラレにたどり着けるとのことだ。予期せぬハプニングも旅の醍醐味。かれらと共に国境を越え、トラックの停留場所に向かった。

乗り合いトラックに乗り、ジンバブエとモザンビークの国境地帯を後にした
レノックスさんによると、父のミシェルさん(67)はモザンビークで20年以上軍務に就いていた退役軍人だそうだ。青年時代に解放闘争を経験し、内戦期にはフレリモの軍隊として戦闘に参加していたという。
ミシェルさんに当時の話を聞くと「若い頃は国の未来のために命をかけて闘ったものだ」と回想。筆者のルーツを聞くや、朝鮮にまつわるエピソードを教えてくれた。

1981年には朝鮮の軍事代表団がモザンビークなどのアフリカ諸国を訪問。その様子は、モザンビークのメディアにも取り上げられた。
かれいわく、軍隊の同僚には朝鮮の軍事顧問団から訓練を受けた人たちがいた。また、モザンビークで内戦が激化していた頃も、朝鮮は物的・人的支援を送りフレリモの闘争を支持していたという。
「だからこそ、朝鮮は今も私たちと共にあるんだ」と語るミシェルさん。話を横で聞いていた息子のレノックスさんも会話に入ってきた。
「ジンバブエも朝鮮と友好的な関係を持っている国の一つだよ。ハラレに行けば、そのことがよくわかる」。
(つづく、李永徳)


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