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〈在日発、地球行・第3弾 7〉搾取の歴史踏まえた評価/ジンバブエ

2023年11月21日 11:58 在日発、地球行

過去の連載記事はこちらから▶︎ 在日発、地球行・〈第1弾〉〈第2弾〉

奪われた農地を民衆の手に

正式名称:ジンバブエ共和国。首都:ハラレ。人口:約1680万人。国土面積:38.6万平方キロメートル(朝鮮半島の約1.75倍)。言語:英語、ショナ語、ンデベレ語など。民族:ショナ族、ンデベレ族など。渡航方法:朝鮮国籍の筆者は電子ビザを3日で取得(30$)。隣国モザンビークから鉄道に乗り陸路で入国。

 朝鮮とジンバブエの関係性を知ることができる首都ハラレのおすすめスポットに向かうため、耳寄り情報を教えてくれたモザンビーク人家族らと共にトラックの荷台に乗り込んだ。

トラックに揺られているうち、視界いっぱいにサトウキビ畑が広がってきた。同乗者いわく、トラックが走るチレズィという町の郊外には国内有数の大規模農場があり、そこで国の主要輸出物であるサトウキビを生産しているという。

チレズィ近郊の農場。肥沃な大地を持つジンバブエでは労働人口の大半が農業に従事している。

ジンバブエでは人口の約70%が農業に従事し、同部門が国内総生産(GDP)の1520%を占めている。かつて「アフリカの穀物庫」とも言われていたこの国の肥沃な大地は、豊富な鉱物資源と共に国内経済を支えるうえで欠かせないものになっている。しかし、イギリスの植民地時代には農業に適した国土の大部分が人口の1割にも満たない白人入植者たちによって所有されていた

さかのぼること1世紀以上前の1890年代、ジンバブエの地は大英帝国の植民地政治家セシル・ローズが経営する「イギリス南アフリカ会社」の統治下に置かれ、「ローデシア(ローズの国)」と呼ばれるようになった。白人支配下に置かれたアフリカ人農民たちは農地を奪われ、荒涼とした土地での集住を強いられ、劣悪な労働環境の中で搾取され続けた。

植民地政治家セシル・ローズの風刺画。アフリカ大陸を跨ぐ姿はエジプトのカイロから南アフリカのケープタウンを結ぶ植民地化計画を表している。

ジンバブエが独立を成し遂げたのは、他のアフリカ諸国よりだいぶ遅れた19804月のことだった。独立総選挙で初代首相に選ばれた人物は、ジンバブエ・アフリカ民族同盟 ZANU)の指導者として白人政権に対する武力闘争を繰り広げたロバート・ムガベ。かれは独立後38年にわたる長期政権を築いたことで欧米諸国から「独裁者」と呼ばれ、国内の「人権」問題を取り上げられては非難の対象となってきた。

ここで気になるのは、ムガベに対する民衆の評価だ。

非難浴びる改革政策

1988年、モザンビークの第2代大統領ホアキン・チサノ(右)の横で演説を行うロバート・ムガベ

政治問題なので話題に挙げることが憚られたが、同乗者たちに話を伺ってみるとさまざまな意見が上がった。そんな中、農民家庭出身の男性ファライ(37)は「外国人たちはムガベに対してとやかく言うが、かれが推し進めた過去の政策を忘れてはいけない」と語った。ファライが口にした政策とは、ムガベが主導した農地改革のことだ。

ローデシア白人政権による搾取と抑圧のもとで貧困に苦んだアフリカ人農民たちにとって、何よりも切実だったのは農地の回復であった。そのためムガベは、独立達成後に白人支配者たちが奪った土地の接収や分配、黒人再入植を実施。アフリカ人農民たちが自らの手で生計を立てられるよう政策を講じた。

ファライによると、国内には歴史的な視点からムガベの功績を支持する人はたくさんいるという。しかし、米欧諸国は農地改革によって損失を被る白人らの「人権」ばかりを擁護し、ムガベを非難しているとファライは指摘した。かれの話を聞くと、アフリカ人の生きる権利を取り戻したリーダーを「独裁者」と捉える浅はかさを実感した。

チレズィ近郊の工場。ほどなくしてハラレへの中継地点なる町に着いた

トラックから眺める景色は、青々とした大規模農場から排気ガスを発する工場群へと変わっていった。「もうすぐチレズィに着くぞ」とクラクションを鳴らす運転手。その町で長距離バスに乗り換えれば、目的地のハラレに辿り着けるという。

(つづく、李永徳)

 

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