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【連載】「消えない傷み~関東大震災朝鮮人虐殺100年・体験者の告白~」⑦

2023年10月25日 09:00 歴史

虐殺された同胞で署内が血の川に

関東大震災当時・荷物をまとめて汽車の開通を待つ(外苑の朝鮮人村にて)

1923年9月1日に発生したマグニチュード7.9の大地震は東京、埼玉、神奈川など関東一円を襲い、人々を混乱に陥れた。同日から巷では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「放火している」などの流言蜚語がまわりはじめる。当時、日本の政府、軍、警察が主体となり起こした「朝鮮人狩り」は、少なくとも6千600人以上の犠牲者を生んだとされているが、今日に至っても真相究明を拒む日本政府の姿勢は、犠牲者とその遺族、体験者らを苦しみに晒し続けている。

【連載】「消えない傷み~関東大震災朝鮮人虐殺100年・体験者の告白~」では100年前の関東大震災時にあった朝鮮人虐殺を目撃および体験した同胞たちの証言を、朝鮮大学校編『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』(1963)から紹介していく。

南廷冽(埼玉県本庄市)

9月3日の夜、工場の主人が寝ている私たちを起こしにきて、工場に移った方がよいといって私たちを連れていきました。案の定、その夜の12時頃、自警団がやってきて工場の前で朝鮮人3人を出せと大騒ぎになりました。

そのとき私たちは、倉庫の中に積んである繭の包みの中に隠れていました。自警団は倉庫の中に入ってきて繭を突っつきましたが、私たちの隠れていた所が奥の方だったので発見されず命拾いしました。(中略)

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