〈さくっと解説~知識の源Q&A〉関東大震災朝鮮人虐殺とは
2023年10月13日 09:00 歴史多様・複雑化する昨今の日本社会で、相互理解の前提となる知識や認識の積み重ねは、一層その必要性を増している。【企画】知識の源Q&Aでは「社会を知る~今週のnewsトピック~」(本紙毎週月曜日号)と関連して、今知っておきたい知識をQ&A形式で紹介する。
死者・行方不明者が10万5千人という甚大な被害を生んだ関東大震災当時、日本政府が敷いた戒厳令下で軍隊、警察、自警団による多民族への大量虐殺が敢行された。とりわけ約6千人が犠牲になった朝鮮人の場合、日本による朝鮮侵略と植民地支配という歴史的背景が大きく影響し、「不逞鮮人」観が社会で広く共有されていた中で標的とされた。
それから100年、在日朝鮮人をとりまく状況はいかに変化したのか―。今年9月1日、関東大震災の節目に際し発行されたブックレット「Q&A 関東大震災100年朝鮮人虐殺問題を考える」(朝鮮大学校朝鮮問題研究センター・在日朝鮮人関係資料室編)を参照し、当時の実相を確認したい。
Q. 100年前の朝鮮人虐殺と日本の朝鮮侵略、植民地支配との関係は?
A. 関東大震災時、朝鮮人虐殺をもたらした要因として、日本の朝鮮侵略と植民地支配がある。1894年、日本軍は「朝鮮の独立」を口実に、清との戦争を開始。実際にこれは、朝鮮の甲午農民軍に対する「鎮圧」であり、19世紀末以来、植民地化に抵抗する朝鮮民衆と、それを圧倒的な軍事力をもって虐殺・迫害することで植民地を「獲得」しようとする日本との間で「戦争」が続いていた。
※日本の朝鮮民衆に対するジェノサイド
甲午農民戦争 | 約3~5万人 |
義兵戦争 | 2万人以上 |
3.1独立運動弾圧 | 7,500人 |
間島大虐殺 |
数千人 |
日本の軍隊、憲兵、警察は1910年の「韓国併合」後も、独立運動と、それに関わるとみなした民衆への虐殺・迫害を朝鮮国内や中国東北地方、シベリアなどで繰り返す一方、日本のメディアは、朝鮮人の独立の意志と行動を否定し、それを「暴徒」とみなした記事を流し続けた。そうして、1919年の3・1独立運動後の日本社会には「不逞鮮人」観が広がるようになる。
このようにみると、朝鮮人は日本による虐殺と迫害の「連続」のなかで関東大震災を迎えることになった。
他方で、