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【連載】「消えない傷み~関東大震災朝鮮人虐殺100年・体験者の告白~」⑤

2023年10月11日 09:00 歴史

“あの時はともかく、ひどかった”

大震災当時、関東各地の至るところで朝鮮人の死体の山が積まれていた

1923年9月1日に発生したマグニチュード7.9の大地震は東京、埼玉、神奈川など関東一円を襲い、人々を混乱に陥れた。同日から巷では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「放火している」などの流言蜚語がまわりはじめる。当時、日本の政府、軍、警察が主体となり起こした「朝鮮人狩り」は、少なくとも6千600人以上の犠牲者を生んだとされているが、今日に至っても真相究明を拒む日本政府の姿勢は、犠牲者とその遺族、体験者らを苦しみに晒し続けている。

【連載】「消えない傷み~関東大震災朝鮮人虐殺100年・体験者の告白~」では100年前の関東大震災時にあった朝鮮人虐殺を目撃および体験した同胞たちの証言を、朝鮮大学校編『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』(1963)から紹介していく。

裵達水(埼玉県川口市)

当時私は34歳で銀座に住んでおりました。あのときはともかく、ひどかった。荒川に首や死体が流れついたというので私も調べに行きましたが、朝鮮人か日本人かわからなかった。一人だけは死体を目撃しています。9月3日には赤羽橋の下に生首が流れていたという話もあります。1日の話ですが今と違って川口に住む朝鮮人は当時5,6人でしたが夜10時頃になって在郷軍人が騒いでいるというので警察から迎えが来た。

警察へ行く途中で暴徒が大勢ワシのところへめがけてきた。警察の門を入ったら巡査部長が「君は朝鮮人か……」というので「そうだ」と答えると、すぐ2階へあがれ―とのことだった。

2階からのぞくと

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