【連載】「消えない傷み~関東大震災朝鮮人虐殺100年・体験者の告白~」④
2023年10月02日 09:00 歴史往来で見た服の血は…
1923年9月1日に発生したマグニチュード7.9の大地震は東京、埼玉、神奈川など関東一円を襲い、人々を混乱に陥れた。同日から巷では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「放火している」などの流言蜚語がまわりはじめる。当時、日本の政府、軍、警察が主体となり起こした「朝鮮人狩り」は、少なくとも6千600人以上の犠牲者を生んだとされているが、今日に至っても真相究明を拒む日本政府の姿勢は、犠牲者とその遺族、体験者らを苦しみに晒し続けている。
【連載】「消えない傷み~関東大震災朝鮮人虐殺100年・体験者の告白~」では100年前の関東大震災時にあった朝鮮人虐殺を目撃および体験した同胞たちの証言を、朝鮮大学校編『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』(1963)から紹介していく。
曺高煥さん(三重県四日市市)
私は苦学の目的で、1923年6月、21歳の年に渡日しました。
東京に知人がいましたので、かれを頼りにしましたが、行方がわからず、所持金も5銭しかなく、まったく困ってしまい、上野の入谷町付近をうろついていました。そうしたら時事新報の配達人募集広告が目にとまり、そこを訪ねていきました。当時、私は、全く日本語ができなかったので、手ぶり身ぶりで頼み、雇ってもらいました。
9月1日、私はおどる思いで朝の3時半におき、配達をすませ、夜の来るのを待ちわびていました。ところが昼前、ご承知の震災にあいました。(中略)私の勤めている新聞店の裏からも出火し、火の手はもうれつに拡がりはじめました。私たちは、主人の指示で、荷物を上野公園に運びました。(中略)私は他の日本人2人と、浅草の方はどうなっているのか、浅草の海水浴場まで行きました。夕方だと思いますが、往来で服に血のついた人と多数出会いました。当時、私は、