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〈学美の世界56〉敬意と喜びの渦に包まれ/金誠民

2023年09月04日 13:05 寄稿

今、ウリハッキョに備わる造形教育の環境は、より柔軟に美術(Art)を体現できるようにデザインされている。勿論、美術クラブの活動は言うまでもなく、絶え間ない研究と実践の中であらゆる表現媒体とふれあい、自律的な働きで練磨された必然性に導かれ、手探りの中で「自分の表し」を作り出す。さながら、彼ら(美術クラブの生徒)は、新しい表しを求めて創造の大海原を駆け巡る冒険者である。その冒険者たちが表出した多様な表現が集積する「宝の山」が学生美術展である。そこには他では見ることができない秀逸な作品がある。それを特別金賞、「特金」と呼ぶ。「特金」は幾重にも重なる審査で選び抜かれ、大いなる敬意と喜びの渦に包まれて生まれてくる。

「大人の都合」。第50回学美展中学クラブ部門特別金賞。大阪中高中級部3年 金聖花

そのひとつを紹介しよう。

「大人の都合」。その作品には生々しく実存する人の表象が堂々と描かれていた。

まず、画面左手に白い光がある。それは、大人が一生懸命つくりだした美しい世の中から放たれる神々しい光だ。画面右手には大きく描かれた子供がいる。顔を覆うように光の矢が突きささり、子供は泣いている。大粒の涙が頬をつたい止めどもなくこぼれ落ちていく。

それでも、子供は目を見開いて光を直視している。子供は、泣いて、泣いて、泣きながら光を涙に沈めて抗う。作者は鋭利に覚めた視線で「その姿」を絵に刻み、表してみせた。

元気で明るく「強い存在」であるはずの子供が、自らを「弱い存在」として、しっかりと表してみせた。時に、自己を表現する苦しみは、自己を鞭撻する苦しみだという。だからこそ、多くの大人はこの絵の前に立つと、ただただ、切なく、悲しく、すまなくて、重くなった頭をたれてしまう。それでも、この作者に寄り添い、率直な表しを受けとめてくれる大人がいて、この作品も存在している。

フリードリヒ・ニーチェの残した言葉である。「自己表現とは自分の力を表すことでもある。その方法を大きく分けると、次の三つになる。贈る。あざける。破壊する」。この絵は大人に捧げられた、幼い表現者からの贈り物である。

「夜明け遭遇録」。第50回学美展中学クラブ部門特別金賞。神戸朝高高級部2年 尹亨真

もうひとつ、とびっきりの作品をご紹介しよう。

「夜明け遭遇録」。夜が明ける頃、森の中ほどに恰幅の良いフクロウがいた。彼は目に穴が空くほど何かをじっと見つめていた。音もなく、闇夜にまぎれて背後にせまる不可思議な気配。こんじきに光る大きなモノが静かに「くろい口」をあけた。

この「くろ」はただの「黒」ではなく「玄」である。「玄」は色ではなく無限にひろがる奥深い虚空であり、あらゆるモノを時空の彼方へといざなう。作り手の内側からあふれ出た唯一無二の表しが、独特の完結した世界観をみせている。

彫刻のような徹底したブリコラージュ(手仕事)が施された強固な画面は素朴でいて、万人を吸い寄せるほどのキャッチな魅力がある。画面構成は淡泊に見えるが、その演出力はスティーヴン・キングの小説「霧」を連想させるほどに、間口が広く奥行がある。

なによりも、一度みたら物語に引き込まれるユニークでプリミティブなその造形力に舌を巻く。この作者が無為自然に筆をふるうと、瞬く間に無垢の表象が目の前に召喚されるという。それは、造形に携わる人(作家)がいつかは到達してみたい憧れの表しのひとつである。

巡り巡る時の節目に、祝福の渦に包まれて「特金」がまた生まれる。「オギャーオギャー」

(尼崎初中・神戸初中 図工・美術専任講師)

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