【連載】「消えない傷み~関東大震災朝鮮人虐殺100年・体験者の告白~」③
2023年09月25日 09:00 歴史筆舌に尽くしがたい恐怖
1923年9月1日に発生したマグニチュード7.9の大地震は東京、埼玉、神奈川など関東一円を襲い、人々を混乱に陥れた。同日から巷では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「放火している」などの流言蜚語がまわりはじめる。当時、日本の政府、軍、警察が主体となり起こした「朝鮮人狩り」は、少なくとも6千600人以上の犠牲者を生んだとされているが、今日に至っても真相究明を拒む日本政府の姿勢は、犠牲者とその遺族、体験者らを苦しみに晒し続けている。
【連載】「消えない傷み~関東大震災朝鮮人虐殺100年・体験者の告白~」では100年前の関東大震災時にあった朝鮮人虐殺を目撃および体験した同胞たちの証言を、朝鮮大学校編『関東大震災における朝鮮人虐殺の真相と実態』(1963)から紹介していく。
全錫弼さん(群馬県境町)
震災当時、私は東京・大井町のガス管敷設工事場で働いていました。飯場には朝鮮人労働者が13名いました。
9月1日は朝から雨だったので仕事に出られず、飯場にこもっていました。12時ちょっと前でした。 昼めしを食べようとしているところへ、激震が襲ってきました。
夕方、6時頃だったと思います。あちこちから日本人が手に手に日本刀、トビ口、ノコギリなどをもって外に飛び出していました。しかし、私たちはそれが何を意味しているのか少しもわかりませんでした。しばらくして、「朝鮮人を殺せ」 という声がきこえてきました。
私たちの住んでいた周囲の日本人は、