〈関東大震災朝鮮人虐殺100年〉運動の現状と課題/埼玉
2023年09月12日 10:10 歴史歴史踏まえ、朝・日関係改善へ
埼玉では関東大震災発生後、日本の内務省から「朝鮮人暴動」に対する厳重警戒指示を受けた県が各市町村に「朝鮮人暴動」に関する通知を出したことで自警団が結成された。当時、埼玉には東京から避難したり、自警団を恐れて県南部から逃げてきた多くの同胞たちがいた。かれらは浦和や大宮を経て群馬方面へと向かおうとしたが、その多くが熊谷市、本庄市、児玉郡上里町などの県北部で虐殺された。確認されている同胞犠牲者数は、熊谷市57人、本庄市88人、上里町42人、県内で約240人とされている。