〈朝大専門家の深読み経済4〉ビジネスパラダイム・シフトへの視座(上)/趙栄来
2023年08月02日 14:38 寄稿2005年に発足した在日本朝鮮社会科学者協会(社協)朝鮮大学校支部・経済経営研究部会は、十数年にわたって定期的に研究会を開いています。本欄では、研究会メンバーが報告した内容を中心に、日本経済や世界経済をめぐる諸問題について分析します。今回は、マーケティング論・経営戦略論を専攻する朝鮮大学校経営学部学部長の趙栄来教授が、ビジネスパラダイム・シフトについて(全2回)解説します。
経済がグローバル化、金融化、デジタル化を加速させる中、コロナパンデミックによる社会経済活動の分断、常態化し深刻化する米中対立、「新冷戦」は地政学及び地経学リスクを生成させグローバルサプライチェーンの見直しなど企業経営に多大な影響を与えている。他方、近年、経済成長至上主義がもたらす弊害による持続可能な社会への危惧と警鐘からビジネスパラダイムの転換が求められてきた。本稿は、二回にわたり①企業経営におけるパラダイム・シフトとはどのようなものであり、②それをいかに解釈すべきかについて論じる。
ビジネスパラダイムの形成
まず初めに、そもそも転換の対象となっているビジネスパラダイムとは何かについて確認しておこう。この問題を俯瞰するにあたってノーベル経済学賞受賞者であり新自由主義の旗手であるミルトン・フリードマンを抜きにしては語れない。
フリードマンは1970年9月13日、ニューヨーク・タイムズに“The Social Responsibility Of Business Is to Increase Its Profits”-企業の社会的責任は利益を最大化することである-を寄稿する。編集側によってタイトル見出しに A Friedman doctrine(以下、フリードマン・ドクトリン)と付されたその骨子は、企業は株主のものであり、また、公正かつ自由でオープンな競争を行うというルールを守ることを前提に、経営者が企業経営における社会的責任を考慮し、従業員や社会福祉のために会社財産を支出する行為を否定し、ひたすら収益の極大化を目指すのが、資産のもっとも効率的な運用となり、社会全体の効用を最大化することになるというものであった。つまり、フリードマン・ドクトリンは、企業の存在意義を①企業は株主のものであり、②株主の委任を受けた経営者は株主価値を主眼に利潤最大化を目指すことだと説いたのである。
フリードマン・ドクトリンは、1970年代初頭のスタフグレーションやジャパン・アズ・ナンバーワンと謳われた日本企業の競争力の前に停滞していた米国資本主義において競争市場原理で巻き返しを図る実業界に受け入れられ「企業が商品化」する空前のM&A(合併・買収)ブームに火をつけ、90年代には株価連動型の経営者報酬制度としてのストック・オプションが一般化するなど、企業経営のゴール=株主価値の最大化という社会通念を定着させた。
一方、学会においても株主主権を柱とした企業統治、プリンシパル(依頼人=株主)とエージェント(代理人=経営者)の関係として捉えるコーポレートガバナンス論が台頭し、ファイナンス論においては新株予約権付社債の発行など償還・返済を要さず将来のリターンを見込んで資金調達を容易にするエクイティファイナンスや企(事)業が生み出す将来価値を時間が経過することで変動するリスクや金利などを加味して計算する企業価値評価手法が開発され、制度化に寄与する形で株主価値最大化・株主至上主義経営を後押ししていった。
このようにフリードマン・ドクトリンを契機として約半世紀にわたり株主価値最大化経営もしくは株主至上主義経営が新自由主義との親和性を持つ“世界標準”のビジネスパラダイムとして定着することになる。
株主価値最大化・株主至上主義経営パラダイムは、①事業の成果を株価で測る(そもそも事業の育成には一般的に中長期のタイムスパンを要する)短期志向の経営行動②株価を基準に拡大・進出・取得する事業と縮小・撤退・売却する事業を見極め、それらへの資源配分の決定に関わる選択と集中の戦略行動を特徴とする。近年、会社法上の規定はないが、経営における執行と監督を分離するガバナンス改革を推し進める機運(見直しもある)もこの流れから捉えられるであろう。
また、株主値最大化・株主至上主義経営パラダイムが、10%の富裕層に全世界の富の3/4が集中し、彼らと世界人口下位50%の間に31倍にも及ぶ所得格差を生じさせている一要因であることも見逃してはならないであろう(【図表1、2】参照)。
二つの“衝撃”
SDGsやESG投資(別項参照)、サステナブル(持続可能な)経営などが耳目を集めだし、誰もが予期しなかったコロナパンデミックの始まりを前後した時期にビジネスパラダイムの見直し、転換を求める主張が株主価値最大化経営もしくは株主至上主義経営の総本山ともいえるところから発せされた。
ひとつは、アップル、アマゾン、ゼネラルモーターズなど米国を代表する最高経営責任者(CEO)が参加する財界ロビー団体、ビジネスラウンドテーブル(1972年設立。「企業は主に株主のために存在する」を「企業統治に関する原則」としていた)から、もうひとつは、世界経済フォーラム(その年次総会を通称、ダボス会議と呼ぶ)からのものである。
前者は2019年8月19日、「企業の目的に関する声明」を発表し、①「顧客への価値提供」②「従業員への投資」③「サプライヤーへの公正で倫理的な対応」④「事業を展開する地域コミュニティの支援」⑤「株主への長期価値創造」にコミットすることを掲げ株主上主義からの脱却とステークホルダー(利害関係者)重視への転換を唱えた。
後者は2020年、フォーラム創設者クラウス・シュワブが経済システムや社会秩序を見直して刷新することを提言した“The Great Reset”を翌年のダボス会議のテーマに据えた。2021年のダボス会議はコロナ禍で中止となったが、“ステークホルダー資本主義”をキーワードにする経済システムの刷新は、気候変動と貧困、ジェンダー格差、人種的不平等など格差の是正に向けて、企業の経営に関わるすべてのステークホルダーとの関係性を重視し、主体的な取り組みを通してステークホルダーへ貢献する長期的に評価される企業経営を柱としている。
以上のように、ビジネスパラダイム・シフトとは株主価値最大化経営もしくは株主至上主義経営パラダイムからステークホルダー重視パラダイムへの「転換」-Greed is Goodから Green is Goodへの「転換」-を指すのだが、次回はこの流れをどのように捉えるべきかについて論じる。
(朝鮮大学校経営学部学部長、教授)
経済豆知識/ESG投資
売上や利益などの財務情報のみならず、Environment(環境)、Social(社会)、Governance(企業統治)の要素、すなわち非財務情報を考慮した投資先判断・選別方法を指す。例えば、環境では気候変動対策、再生可能エネルギーの活用など、社会では採用における多様性(ダイバーシティ)、ワークライフバランスの確保などの雇用問題、企業統治では少数株主の保護や情報開示の透明性などが対象になることで、長期投資判断の重要材料となり持続可能社会実現への参加・貢献というメリットがある半面、情報開示が不十分でありグリーンウォッシュ(環境配慮への誇張)企業やブルーウォッシュ(企業統治の見せかけ)企業への投資リスクというデメリットもある。
Greed is GoodからGreen is Goodへの転換
企業買収を描いた映画「ウォール街」(1987年、米国公開)では、インサイダー取引によって収監される主人公が買収先企業の株主総会にて”Greed is Good, ”-強欲は最善-と主張するシーンがある。このことから一方で、株主価値最大化経営もしくは株主至上主義経営パラダイムをGreed is Goodに、他方で、環境配慮による持続可能性を背景にするステークホルダー重視パラダイムをGreen is Goodと例えた表現。
(朝鮮新報)