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〈関東大震災朝鮮人虐殺100年〉尹峰雪さんが語る、オモニの体験

2023年07月31日 09:27 歴史

365日見上げた空/夕焼けに蘇る記憶

尹さんを囲んで記念撮影

7月22日、千葉市内で行われた「朝鮮人虐殺の歴史を記憶し朝鮮人差別に反対する一大行動」実行委員会(以下、実行委)の第4回実行委員会。留学同の在日朝鮮人学生と日本人学生で構成される同実行委はこの日、会議に先立ち、虐殺当時の証言を聞く会を設けた。実行委のメンバーたちが体験者の思いを知ることで、「自分事」として歴史に向き合い、問題の本質を考えたいと企画された場だ。講師として招かれたのは、大震災当時に朝鮮人虐殺を目撃したことを告発し、2003年の対日本政府日弁連勧告をもたらした文戊仙さん(故人)の娘、尹峰雪さん(81)。尹さんは今、100年前の国家的ジェノサイドに対する政府の謝罪や反省なくして、今もうごめく差別や偏見の芽を摘むことはできないとこの社会の未来を憂慮する。尹さんが語る、オモニ・文戊仙さんの体験について紹介する。

オモニは1908年生まれ、慶尚南道の鎮海で12歳まで育った。祖父母はお米屋を営んでいて、裕福ではなかったがそれなりの生活をしていたそうだ。今でこそ、日本のお米は世界一美味しいが、当時はまだ品質改良が完成していなかった。それで当時一番おいしいお米といえば、朝鮮半島で収穫されたお米だったという。それらはほとんど日本に運ばれていた。そういう流れで、日本から(朝鮮へ)米屋が進出してきた。その後、祖父母が営んでいた米屋はあっという間につぶれた。祖父母は生活のために、オモニときょうだいを連れて日本に渡ってきた。その後、大井町に住まいを構え、最初は土方を、そのうち飯場を請け負うようになった。震災当時も祖父母は千葉の方へ出かけていき、家にいたのはオモニと妹たちだけだった。

これまでも「地震で朝鮮人がたくさん殺され、すごく苦労した」などという話は大雑把にはしていたが、細かい話はしなかった。今考えるとあまりの恐ろしさにそれがトラウマになり封印されていたのだと思う。言わなかったのではなく、言えなかったのだろう。

95年、阪神淡路大震災のとき、その封印が解き放たれた。当時オモニは「また朝鮮人が日本人に殺されるよ」と泣き叫ぶように言った。幼い頃の恐ろしい情景が思い出され、つまった下水管が流れだすように、一緒にいた私に話してくれた。

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