〈在日発、地球行・第3弾 3〉大国に与しない主体性/モザンビーク
2023年07月20日 09:00 在日発、地球行過去の連載記事はこちらから▶︎ 在日発、地球行・〈第1弾〉、 〈第2弾〉
援助と自立の狭間で
金日成通りの北側の最終地点は、モザンビークで最も権威のあるエドゥアルド・モンドラーネ大学へとつながる通りに面していた。モンドラーネは、ポルトガル植民地支配に対する解放闘争を戦い、独立後に政権党となったモザンビーク解放戦線(FRELIMO)の指導者である。モンドラーネの1960年代の活動経験をまとめた著書にはFRELIMOと朝鮮との関係に関する興味深い記述が残されているのだが、その内容に触れる前に、まずは同大学への訪問体験について紹介しておこう。
筆者が訪れたのは、モザンビーク国内に4箇所ある同大学のキャンパスのうち、一番大きな規模を誇る首都マプトのメインキャンパス。広大な敷地には、農学部、経済学部、教育学部、理学部などさまざまな学部の建物が立ち並び、当然ながら図書館や運動場、それに学生寮もある。
意外に思ったことと言えば、東洋人の筆者が校内を自由に歩き回っていても、学生や大学スタッフらがあまり気にかけていなかったことだ。大学の敷地に入る前までは「部外者と思われれば誰かに注意されるかもしれない」と警戒していたので、少々拍子抜けだった。しかし散策を続けるうちに、東洋人が珍しがられない理由が理解できた。
なにやら比較的新しい建築物があるなと思い、その前を通ると、看板に「孔子学院」と書かれている。孔子学院とは、中国政府が世界中の大学などとの提携のもとで、各国での中国語や中国文化の普及、両国間の学術交流の促進などに取り組む教育機関。アフリカでは2005年に初めて開設(ケニア大学)され、現在はモザンビークを含めアフリカ全土に約60校設立されている。
つまり、筆者がモンドラーネ大学で目にした新しい建物は、孔子学院の教育施設というわけだ。看板に書かれた文章を近くで確認すると、19年11月竣工と記されている。
現在、同大学ではモザンビークの学生たちが中国語や中国文化を学んでいる一方、中国からの留学生もいる。なので、筆者はおそらく中国人学生と思われていたに違いない。
同大学ではほかにも、中国の建設会社が新しい施設の建築工事を進めていた。後に、マプトで知り合った貿易会社勤務の女性、アビバに聞いたところ、中国はモザンビークに対して積極的な経済協力と投資を行い、道路、橋、港、鉄道などのインフラ整備、政府や議会の建物などの建設事業にも携わっているという。
西欧諸国は、近年中国がアフリカで「植民地化政策」を進めていると批判しているが(この点に関するアフリカの人々の見解は別の機会で紹介したい)、アビバが筆者に対して強調していた点は「そもそもモザンビークと中国との協力関係は1960年代からずっと続いている」ということだった。
共鳴した思想
ここらで大学を後にして、再びマプトの街中へ。横道に逸れてしまった話題を、モンドラーネの活動経験に戻すとしよう。
1960年代、モンドラーネが率いたFRELIMOはポルトガル植民地からの解放闘争の過程で反植民地主義、反帝国主義、反人種差別主義を掲げ、ソ連や中国など東側諸国との協力関係を築いた。FRELIMOにとって、ソ連は最大の軍事援助国であり、中国からの支援も欠かせなかった。しかし、ソ連の大国主義、中ソ対立に起因する中国の恣意的な支援政策を目の当たりにしたモンドラーネは、両大国を全的に信頼していたわけではなかったという。
モンドラーネの著書によると、FRELIMOには解放闘争を支援するアフリカ諸国の他に、信頼を置ける国が3カ国あった。キューバ、ベトナム、そして朝鮮だ。モンドラーネが考える3カ国の共通点は「自らの国家アイデンティティーを堅持していること」。つまり、大国の言いなりになるのではなく、主体的な立場を保っていることにあった。このような理由からモンドラーネは、前述の3カ国とは第三世界の諸問題に対して忌憚なく意見を交換できたという。
1967年、金日成主席はモンドラーネによって朝鮮に派遣されたFRELIMOの代表団と接見した。代表団は反植民地主義、反帝国主義の旗のもとで連帯を強化していくことを約束。その後、モンドラーネはポルトガルの秘密警察によって暗殺されたが、かれが固守しようと努めた主体的な外交姿勢、朝鮮との間に築いた友好関係は、FRELIMO最高司令官となったサモラ・マシェル(モザンビーク初代大統領)へと受け継がれていく…。
などと頭の中で考えを巡らしているうちに、首都マプトの中心部に位置する独立広場に到着した。広場には、巨大なサモラ・マシェルの銅像が圧倒的な存在感で佇んでいた。
実はこの銅像、朝鮮でも有名な、あの創作集団によって建てられたものだ。
(つづく、李永徳)