100年経つも、遺骨未だ見つからず/千葉でフィールドワーク
2023年07月14日 06:00 歴史7月8日、「関東大震災の千葉県における虐殺を訪ねるフィールドワーク」が、「関東大震災朝鮮人虐殺100年―虐殺犠牲者の追悼と責任追及の行動」実行委員会(以下、追悼と責任追及の行動実行委)と「関東大震災朝鮮人犠牲者追悼式千葉県実行委員会」(総聯千葉県西部支部)の共同開催で行われた。同胞や日本市民、関係者を含む70余人が参加した。
「千葉県における関東大震災と朝鮮人犠牲者追悼・調査実行委員会」(以下、追悼・調査実行委)事務局の平形千惠子さん(83)がフィールドワークの解説を務めた。フィールドワークは、追悼・調査実行委が1978年に発足して以降、聞き取り調査などの30余年の調査を基に作成した資料を用い実施された。
デマを日本各地に
はじめに、行田公園(船橋市)にある海軍無線電信所船橋送信所の無線塔跡を訪ねた。
船橋送信所は、震災から2日後の9月3日、午前8時15分に、内務省(当時)から受け取った「東京市内で朝鮮人が爆弾や石油を用いて、各地に放火した」といった内容の流言飛語を日本各地に向け打電した場所。地域の警防団長の証言によると、当時の送信所長が、電文を耳にした朝鮮人が攻めてくることを恐れ、警防団に「朝鮮人は殺してもいい」と伝え武器を渡した。しかし、無線塔跡に建立された船橋無線塔記念碑の碑文には、「関東大震災時に救援電波を出し多くの人を助けた」としか記されておらず、日本政府が率先してデマを流したことについては全く記されていない。
馬込霊園、3つの慰霊碑
次に訪れた馬込霊園には、法界無縁塔、関東大震災犠牲同胞慰霊碑、移葬碑の3つの碑があった。平形さんが碑の建立に至る経緯や碑文、碑の下に埋葬されてある朝鮮人犠牲者の遺骨の存在について説明した。
法界無縁塔は