〈学美の世界49〉纏わぬもののカタチ/康貞淑
2023年03月03日 10:47 寄稿連なる発想を膨らませた後、間をあけて客観的に判断する。このプロセスの循環が、カタチとなる。カタチは千差万別だが、ひた向きに追い求める者の姿や率直さはみな眩しく映る。
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丸いものは何だろう。太古の生き物だろうか。誇張された眼球、さまざまな色で重ねられた表皮、散らばる服と上履き。(作品1)
この世に生まれた時から、望まなくても社会での属性は増えていく。再生を繰り返す表皮は、蓄積された多面性を正直に物語る。外の世界との摩擦によって表皮は限界値を超え、苦痛を訴える。広がる見識が諸刃の剣となって、内面を圧迫するのだろう。
…原点回帰は何も纏わぬヒトとしての在り方を問う。
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右手に掲げる盃は仮面のように見える。顔と盃は赤みがかり、体は青く、一部は緑がかっている。(作品2)
ブドウを持って立っている姿はミケランジェロの彫刻「バッカス」(1496年〜1497年)を思わせ、さらにエリック・サティのピアノ曲「ジムノペディ」(1888年)の引用との結びつきは、古代ギリシャの祭典を想像させる。
樹木信仰は原始的な両性具有の象徴性を持ち合わせ、ブドウからの創造物に人びとは陶酔、歓喜、狂乱、恍惚とした。それらが芸術の側面と融合し、古代ギリシャでは神話の神ディオニュソス、バッカスに多くの演劇が捧げられた。
演劇は抑圧されたものから人びとを解き放ち、演者は仮面を被ることで神々と一体化する。
古代ギリシャの円形劇場は、悲劇によって恍惚と混沌が最高潮に達し、生命エネルギーに満ちた熱気に包まれたにちがいない。
静かに奏で始める曲の調べが祭りの終演を告げ、酔いから醒めて鎮静化する。創造は起爆と鎮静で成り立っている。
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赤、青、黄とエネルギッシュな色彩は、強烈なインパクトを以て見る側を刺激する。(作品3)
眼状紋で捕食者を威嚇し攻撃を回避する生き物のように心を擬態化するが、大海では些細なことだと言わんばかりに両手に収まっている。今はまだ「孵化したもの」を心に留めているが、手放す時は近づいている。
擬態する必要がないのだと悟っているかのようだ。
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体を前に曲げ、支えながらもしなやかに伸びる手足。半身の口元はわずかに微笑んでいる。(作品4)
全体的に色は淡く、垂れ流された無数のラインは花となった。先を見据え、こうありたいと切実な想いを花に託す。開花によって身体は照らされ、足を伸ばせば新たな地平へ一歩踏み出せる。
半跏思惟像のような微笑みとしなやかさは、ある境地に達した表れだろうか。
学生美術展は、地方によって見られる作品が異なる。
写真では伝わりにくい立体と映像は会場で見るのが望ましい。是非近隣の展覧会場に足を運んでもらいたい。
(在日朝鮮学生美術展中央審査委員、東大阪初級・城北初級図工講師)