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ハンセン病テーマにトークイベント/原爆の図丸木美術館で

2023年02月12日 08:00 時事

趙根在が撮る在日朝鮮人回復者

今月4日から開催中の「趙根在写真展 地底の闇、地上の光―炭鉱、朝鮮人、ハンセン病 ―」

5日、丸木美術館では、前日から始まった「趙根在写真展 地底の闇、地上の光―炭鉱、朝鮮人、ハンセン病 ―」と関連し、関係者らによるトークイベントが行われた。展示を企画担当した丸木美術館学芸員の岡村幸宣さんと、国立ハンセン病資料館学芸員である西浦直子さん、吉國元さんが登壇。「人間同士として向きあえ語りあえる写真」を撮りたいと、約20年もの間、各地のハンセン病療養所に足を運び、2万5千点におよぶ写真を撮影し続けた趙根在、さらには被写体となった療養所の入所者たちについてそれぞれに語った。

資料写真からの「解放」

原爆の丸木美術館でどうして趙根在、そしてハンセン病なのか―。

岡村幸宣さん

岡村幸宣さんは、こう話を切り出した。岡村さんが、趙根在という写真家の存在を認識したのは、2013年夏のこと。この頃、丸木美術館では「坑夫・山本作兵衛の生きた時代―戦前・戦時の炭坑をめぐる視覚表現―」展という展覧会を開催しており、趙が監修した書籍「写真万葉録・筑豊」の存在を知ることになった。その翌年、国立ハンセン病資料館で、写真家・趙根在をテーマに展覧会が開催されると聞き、会場を訪ね、写真をみた岡村さんは「とても心を動かされた」という。

「ほかにもたくさんの写真があるなかで、一目でわかるくらいに趙根在の写真は違った。この違いは一体なんなのか」。こんな考えを巡らせながら、趙の写真集を購入したことが、約10年越しの丸木美術館での展示につながった。

「本展の意義は、趙の仕事をハンセン病の啓発のための資料写真という枠組みから解放し、一人の写真家としての全体像に迫る契機になると考えている」(岡村さん)

今回、場内に掲示された趙にまつわる解説は、岡村さんが出合った連載「ハンセン病の同胞(きょうだい)たち」(1985-86年。雑誌『解放教育』10回連載)などに依拠したもの。この連載が、「日本の近現代史の重要な側面」を記録していると岡村さんは言う。「植民地となった祖国を離れた両親のもと、故郷と呼ぶことのできない土地で、生年さえ定かでない環境で生まれ育った朝鮮人が数多くいる。そうした日本生まれの朝鮮人の一人が趙であった」(岡村さん)

積極的に用いた「証」

多摩全生園 ハングル講習会(年代不詳)

趙根在、別名・村井金一。愛知県知多郡大府町(現大府市)に生まれた趙は、家庭の事情で15歳の頃から、岐阜の亜炭鉱で坑内労働をはじめた。やがて在日朝鮮人中央芸術団(金剛山歌劇団の前身)の照明部員として働くようになり、全国公演に帯同。その過程で熊本県にある国立療養所菊池恵楓園を訪れたのを機に、ハンセン病に関心を寄せるようになった。そうして1961年夏、東京の国立療養所多磨全生園を訪ね、在日朝鮮人の入所者に出会った。それが、その後、約20年にわたり、北は青森の松丘保養園から南は鹿児島の星塚敬愛園まで各地の療養所に足を運び、写真を撮影するきっかけになった。

西浦直子さん

国立ハンセン病資料館学芸員の西浦直子さんは、トークイベントで、「私は、展示された写真に対して何らかの責任を負うべきだと思った」と話し、在日朝鮮人という立場で、朝鮮人回復者らを撮影してきた趙の写真に向き合った一人として、感じたことを話したいと述べた。

西浦さんはまず、今回、丸木美術館で展示されている趙根在の資料群について、その特徴を説明。資料はすべて国立ハンセン病資料館所蔵のもので、写真や書籍、そのほかカメラなど大きく3つに分けられる。なかでも写真は、うち8割が療養所で撮影され、残り2割が炭坑や朝鮮人家族を撮影したものだという。

西浦さんによると、趙さんは、06年から17年まで多磨全生園で自治会会長を務めた金相権(佐川修)さんなどと非常に親しい関係にあった。一方、ハンセン病資料館が設立された当時、各療養所に写真提供の依頼をかけ、寄せられた写真のなかには、趙さんが撮った写真があった。西浦さんは「(趙さんの写真は)療養所入所者たちから、療養所の歴史を伝え、入所者の生活を記録するものとしてまなざされていた。被写体となった人たちが、自分たちの存在を伝えるために、積極的に用いてきた『生きた証』としての記録」だと評した。

吉國元さん

同じく同資料館学芸員の吉國元さんは、自身がハンセン病について知る最初のきっかけに趙根在の写真があったと述べた。大学生の頃に出合った趙さんの写真が、「素晴らしく、人間の原風景のように見えた」が、その後それが、ハンセン病元患者とそのパートナーの写真だと知ったという吉國さん。

以来、「これが本当に原風景と言えるのか」という課題をもつようになったと話した。

また吉國さんは、在日朝鮮人ハンセン病回復者であり、歌人の金夏日さんが書いた歌集「無窮花」のなかにある歌をいくつか紹介した。

「いく日か共に寝起きして写真撮る若きカメラマンに親しみのわく」

「手術後にて頬こけしわれも同胞の君のカメラにおさまりにけり」

吉國さんはこれらが、趙さんを思わせるものだと述べ、金夏日さんの作品紹介を通じて、金さんを撮影する写真家・趙根在のアイデンティティのあり様を考えた。

写真という手段

5日には関係者らによるトークイベントが行われた。

会場を訪れた図書出版クレイン代表の文弘樹さん(61)は、「趙根在の写真は朝鮮人という存在を、マイノリティーやディアスポラという言葉から解き放つもの」だと語る。そのうえで「朝鮮人の患者が多く、罹患率も非常に高い、それはなぜかということを、趙が撮る被写体から考えることができる。名前を名乗れず存在を否定されるという、重層的な差別構造のなかにいた在日朝鮮人患者たちの存在を照らすかれの出発点には、朝鮮人であることの被差別体験があるはずだ」と語気を強めた。

「趙根在の写真は、在日朝鮮人ハンセン病患者の存在をただ皆に知ってもらいたい写真ではなく、その存在をとりわけ日本の人々に突きつける鋭さがある」(文さん)

また開催にあたり、写真選定などに協力した写真家の小原佐和子さんは、趙根在の写真の魅力について「自分の内面を伝えるなど大きなテーマで写真をやる人が多いなか、同胞たちの窮状を訴えるために、使命感を持って、写真という手段を選んでやっている人だと思う」と話した。

菊池恵楓園 ハングル講座(1965)

趙根在は生前、「写真でひとつの姿をあらわすことによって、社会のいえば価値基準というもの、あるいは美醜という問題をね、ひっくり返せるか」という発言を残している。

岡村さんは、この言葉に着目しながら「差別や偏見の対象とされていた人々を、誰が見ても心を打つようなイメージにとらえなおし、世の中のものの見方をひっくり返そうとした趙根在の仕事の意義を、今回の展示から感じ取ってほしい」と切望した。

(韓賢珠)

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