〈歴史の「語り部」を探して〉今も残る通信使の足跡/滋賀編
2023年01月19日 10:04 歴史「朝鮮通信使を迎え入れるために、それはそれは大がかりな準備をしたらしいですよ。朝鮮通信使の行列を一目見たいと何時間もかけてここへやってくる人もいたそうです」。滋賀県近江八幡市にある観光案内所の職員が、ガイドブックを渡しながら話してくれた。
滋賀県は、言わずと知れた朝鮮通信使にゆかりの深い地だ。通信使に随行した雨森芳洲(あめのもりほうしゅう)の出身地でもあるこの地域には、江戸へ向かう通信使が通った「朝鮮人街道」が今も姿を残す。朝鮮通信使にゆかりのある近江八幡を歩いた。
「朝鮮人街道」と「旧伴家住宅」
朝鮮通信使は、江戸時代に朝・日間の友好往来に画期的な成果をもたらしたといわれている。豊臣秀吉の朝鮮侵略では、李舜臣将軍をはじめとする軍や民衆の果敢な戦いの末に朝鮮が勝利したものの、多くの朝鮮人が命を奪われ両国の国交は断絶。そんな中、国交回復と捕虜の返還を目的とした朝鮮通信使が1607年に初めて来日した。これをきっかけに「欺かず争わず」の精神で、計12回にわたり朝鮮の使節団が日本を訪れることになる。交流は約260年間も続き、その間、両国は国交を深めたとされている。
朝鮮通信使の足跡は今も日本各地に残っているが、特に有名なのは滋賀県野洲市から彦根市まで続いている「朝鮮人街道」(別名「京街道」)だろう。