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〈歴史の「語り部」を探して〉大阪編

2022年10月31日 07:44 歴史

大阪国際平和センター「ピースおおさか」内にある「刻の庭」

太平洋戦争末期、米軍は日本各地の都市部に空爆を仕掛けた。大阪では市内中心部の約21平方キロが焼け、府内で1万5千人の犠牲者を生んだ。計8回にわたる米軍の爆撃は、大阪の町を火の海にした。

当時、府内には多くの在日朝鮮人が住んでいた。強制連行をはじめ植民地支配下で日本へ渡ることを余儀なくされた朝鮮人は、そのほとんどが木造家屋に密集して暮らしていたことから、焼夷弾などによる被害はさらに甚大だったとされる。

空襲から77年が経っても、正確な犠牲者数や被害の実態が明らかになっていない大阪空襲時の朝鮮人犠牲。そんななか、大阪空襲75周年朝鮮人犠牲者追悼集会実行委が朝鮮人強制連行と大阪空襲での朝鮮人犠牲者についてまとめた冊子を昨年、発刊した。戦争の悲惨さが語られる一方、植民地支配国に対する加害の反省がおざなりになっている現状に待ったをかけようと、立命館大学コリア研究センターの塚崎昌之氏(66)が手がけた。

(金紗栄)

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