〈ものがたりの中の女性たち60〉「合格するまでお別れです」―一朶紅


あらすじ

 朝鮮王朝時代、沈喜(シムフィ)壽(ス)という若い遊び人は職にも就かず、街の不良と放蕩三昧。美しい顔立ちと、八歳で漢文が読めたことで、人は彼を神童と呼ぶ。彼が15歳のとき、不良たちと宰相家の祝いの席で飲み食いしていると、そこに容貌が飛び抜けて美しい十六歳の一朶(イルタ)紅(ホン)がいる。ひと目で恋に落ちるふたり。後日、華麗に馬に乗った一朶紅に往来で声をかけられ、彼女の叔母の家に招かれる。父母を亡くし叔母の元で妓生に身をやつしている一朶紅は、そこで沈喜壽と結ばれる。妓生ではあったが、一朶紅が身を許したのは初めてだった。感動した沈喜壽はそのまま十日間居続ける。しかし一朶紅は彼を追い返す。若い者がこんな不健全な関係を長く続けるものではないと。科挙に合格し正式にプロポーズすることを要求し、家がどこなのかも教えず、別れを惜しむこともなく飄然と行ってしまう。帰宅した息子が猛然と勉強を始めたことに家人は喜ぶが、その理由を彼は言わない。七年後、見事科挙に合格した沈喜壽は一朶紅を探すが見つからない。偶然、老宰相宅で一朶紅と再会する。合格から三日経っていたが、すでに知っていた彼女は驚かない。他の男から身を守るために老宰相宅の下働きをしていたという。美しいだけではなく、家事にも秀で、歌舞音曲に長け、経書にも詳しく、書画や将棋の才まである彼女に、沈喜壽の家族は喜んで側室に迎えることを許す。その後、十七,八年間幸せに暮らすが、一朶紅は自らの死期を予言し、その言葉通り軽い風邪で亡くなってしまう。後日、貴方の横に墓を建ててくださいと言い残して。※沈喜壽(1548∼1622:大提學、右贊成、 左議政などを歴任)

第六十話 一朶紅の説話

一朶紅 イメージ

一朶(イルタ)紅(ホン)の説話には多くのバリエーションがある。二人の年齢や、沈喜壽が科挙に合格するまでの期間やエピソードなど説話ごとに違いがある。一朶紅が沈喜壽に勉強を教えた、沈喜壽の家に押しかけ彼の母を説得し結婚した、沈喜壽はひとり親で不良少年だった、一朶紅が沈喜壽の放蕩を止め改心させた、彼女には予知能力があったなど枚挙にいとまがない。ただ、二人が深く愛し合い、献身的に支え合い、その命を全うしたという部分は共通する。一朶紅の遺書や絶命詩、沈喜壽の輓章詩はとくに有名で、多くの人々の涙を誘ったことは間違いないだろう。この世に変化しないものは存在しないが、「永遠の愛」だけは信じたい人々の祈りにも似た「想い」が、この説話の人気の所以だといえる。

絶命詩

一朶紅と沈喜壽のロマンスは、「天倪録(チョネロク)」や「於于野譚(オウヤダム)」など多くの野史、野談に収録され、口伝の説話でも語られている。「天倪録(チョネロク)」(朝鮮王朝時代後期の文臣任(イム)埅(バン)が自身の見聞に基づき著述した野談集)では、七十歳の沈喜壽が一朶紅との思い出を、彼の部下に語った内容が伝聞として収録されている。

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