〈明日につなげる―無償化裁判がもたらしたもの―〉東京弁護団(上)


やるしかない、やらざるを得ない

朝鮮学校除外の立場を日本政府が示したことを受け開かれた学校関係者らによる会見(10年4月1日)

東京朝鮮中高級学校の生徒62人(当時)が、高校無償化制度の対象から朝鮮高級学校を除外したのは違法だとして、国を相手に訴えを起こしたのは、今から約8年前、2014年2月17日のことだった。すでに13年1月の大阪、愛知を皮切りに、広島、福岡の各地で展開されていた同種訴訟で、結果的に東京は最後の提訴となった。裁判は19年8月27日、最高裁が、生徒らの主張を退けた下級審判決を支持し、原告側の上告を棄却。それは行政の違法行為を是正すべき司法府が、その役割を放棄するという極めて不当な判断であった。

「フィクサー」からの提案

2009年夏に政権交代を実現した民主党は、党の目玉政策であった高校無償化法の次期通常国会成立を目指していた。当初、文部科学省は、教育の機会均等を目的とする法の趣旨に則り、一条校同様に、各種学校である外国人学校もすべて無償化制度の対象に含む方針で予算を計上(09年10月15日)。しかし翌10年2月21日、当時の中井洽拉致担当相が、拉致問題を理由に、朝鮮学校を制度の対象から外すよう、川端達夫文科相(当時)に要請。同25日には、鳩山由紀夫首相が除外を示唆し、ついには朝鮮学校を対象外にしたまま法律が施行された。

金舜植弁護士

その後の「検討会議」を経て審査規程が制定され、朝鮮学校に対する審査が進められていくことになったが、この審査は同年11月23日に起きた延坪島砲撃事件を理由に「超法規的に」停止される運びに。朝鮮学校への制度適用をめぐる一連の政府判断には、法の趣旨を踏まえれば当然念頭に置かれるべき教育上の観点は、一切抜け落ちていた。

東京で裁判準備が始まったのは、審査停止後の10年12月、その後の裁判闘争で「フィクサー的な役割」を担った田中宏さん(一橋大学名誉教授)から、後に東京弁護団の主力となる金舜植、李春熙弁護士が提案を受けたことからはじまる。

二人によれば当時、田中さんは「審査が事実上ストップしている状況はおかしい。日本人が原告になり裁判をできないか」と、学校や生徒など当事者を矢面に立たせない形での裁判を提案したという。金弁護士も弁護団として関与した枝川土地裁判*¹での成果をヒントにしたものだった。ただその後、行政法に詳しい小町谷育子弁護士(後に東京弁護団の一員)などにも相談し議論を進める過程で、「やはり第三者が裁判を起こすのは難しいため、学校や生徒が原告となり進めていくしかないとなった」(金弁護士)。

それからというもの、弁護士たちは各方面へ動き出した。金、李両弁護士が代理人となり、2011年1月17日には、東京朝鮮学園が国に対し、審査停止理由の説明と再開を求めて異議申し立てを行った。

これに対し、当時の高木義明文科相は「…北朝鮮による砲撃が、わが国を含む北東アジア地域全体の平和と安全を損なうものであり、政府あげて情報収集に努めるとともに、不測の事態に備え、万全の体制を整える必要があることに鑑み、当該 指定手続きを一旦停止している」などと、政治外交による停止理由を通知(11年2月4日)した。

こうした社会情勢を受けて、喜田村洋一弁護士を筆頭に、小町谷、金、李の4人の弁護士は本格的に裁判の検討に入った。そうして、2011年夏までに弁護士12人からなる東京弁護団が結成された。

まぼろしの裁判

日本の市民団体らが主催した「高校無償化からの朝鮮学校排除に反対する全国集会」(2010年9月26日)

東京での裁判は、先述のとおり14年2月に始まっている。しかし、弁護団の結成はその2年半も前にさかのぼる。その間に、いわゆる「まぼろしの裁判」が存在していたからだ。

「実は、2014年の提訴前に一度、裁判を直前で取りやめたことがあった」。金舜植弁護士は、当時についてそう回顧する。

当初、11年9月8日を目途に提訴を予定していた東京弁護団では、朝鮮学校の無償化適用をめぐる状況が膠着状態にあった2011年以降、学校や保護者らとの相談を重ね同年7月5日には、東京中高の高級部2年生、同19日には高級部3年生の全生徒を対象に説明会を行い、原告候補者を募っていた。最終的に原告候補となった生徒らと面談し、いよいよ提訴というタイミングで、裁判は取りやめに。菅首相による審査手続き再開指示(同年8月29日)を受けてのことだった。

李春熙弁護士

しかし事態は政権移行の過程で一転する。12月28日、下村博文文科相(当時)が朝鮮学校に高校無償化制度を適用しない方針を表明し、13年2月20日には制度からの朝鮮学校除外が明確になった。

これを受け、東京弁護団では、「まぼろしの裁判」で最終候補となった元生徒ではなく、現役の生徒たちの中から、改めて原告を募るという、新たに準備に突入した。とりわけ弁護団が意識したのは、「論点を可能な限り絞り、余計な考慮要素をなくしていくこと」(李弁護士)。東京無償化裁判での原告を、現役の高級部生徒らに限定したのもその一環であった。

「例えば、14年2月の提訴時の高1は、13年2月の除外時にまだ高級部生じゃないので、『除外時にはいなかった』という議論になりうる。あるいは卒業生になると『提訴した時点で高校生じゃない以上、いまは権利がないのでは』という論点が出てくる。だれがどうみても文句のない原告で統一しようと改めて現役の高校生に対象を決めた」(李弁護士)

弁護団ではまた、「戦略的に国の除外理由を見定めよう」と、提訴前だった13年9月26日に「訴え提起の予告と照会」も行ったという。この手続きは、民事訴訟法上の当事者間が行えるもので、相手に裁判予告をしたうえで、裁判上の争点の一部について問いただすことができる制度。「裁判前に不指定処分の理由を問いただし、その理由を分析して裁判を提起しようとした」(李弁護士)。

これに対し、同年10月25日、国から返ってきた文書には、明確な処分理由についての説明はなく、弁護団では、それを受けて最終訴状を確定させ、14年2月17日、朝高生62人が原告となり国賠訴訟を提起するに至った。

結局、国がこの時点で説明すらできなかった「不指定の明確な理由」は、「逃げ」の姿勢を取る司法により、最後まで、法廷の場で明らかになることはなかった。

運動蓄積を糧に法律論で

朝鮮学校関係者らが緊急声明を発表し会見を開いた(2010年11月25日)

「自分も李弁護士も当事者だから。最初からやるしかない、やらざるを得ない、そういうスタンスだった」。

東京弁護団で中心的役割を果たした一人、金舜植弁護士は「当事者」としてこの訴訟に携わった。

「4.24阪神教育闘争や朝鮮大学校の認可闘争も含めて、自治体に対し行政交渉をした時代は、中央政府がプレッシャーをかけても、それをはねのける自治体や革新知事がいた。けどいまは、行政が一丸となって朝鮮学校弾圧をしている。そんななかで、無償化法というその趣旨からしても朝鮮学校を排除できない法律ができたと考えていたので、ここで闘わずして、いつ闘うんだと考えた」。

「ここで勝たなくて、どこで勝つのかと、この裁判で勝ち、結果を残すことは義務だと思った」。李弁護士も、金弁護士同様に当事者として携わる以前に「明らかに法的におかしい」と、理不尽な国の措置に声を上げる必要性を感じていた。

運動の蓄積を糧に、法律論で勝負する―。こうして、実働隊のみの精鋭弁護団による司法闘争が始まった。

(韓賢珠、続く)

連載「明日につなげる―無償化裁判がもたらしたもの―」では、各地の弁護団とその関係者たちにスポットをあてる。かれらが弁護団に携わることになった経緯や裁判過程での気づき、見据える課題などから、高校無償化裁判がもたらしたものが何かを確認し、今後も続く民族教育擁護運動について考える。

 

「高校無償化」制度と朝鮮高校除外

~通称・「高校無償化」制度。正式名称は「高校授業料無償化・就学支援金支給制度」。民主党政権の目玉政策として2010年度にスタートした同制度は、高校無償化法(高等学校等就学支援金の支給に関する法律 )に基づき、授業料の低減を目的に公立高校の授業料を無償化、また私立高校(外国人学校含む)には就学支援金を支給する制度だ。当初、朝鮮高校は無償化の対象に含まれていたが、中井拉致担当相(当時)の除外要請など一部国会議員らの横やりにより、朝鮮高校を無償化対象にするか否かを判断するため、検討会議が発足される(2010年5月)。その後、同年11月23日の延坪島砲撃事件を機に、審査は凍結(2010年11月)され、審査再開(2011年8月)後も結論が出ないまま、自民党政権に移行した。2012年末、文科省は無償化対象から朝鮮高校を外す方針を表明。 翌13年2月20日付で、文部科学省令の改悪により、 朝鮮高校の無償化適用根拠となる規定を削除し、制度の対象外となったことが各地の朝高に通知された。

枝川土地裁判*¹

石原都政時代、学校法人東京朝鮮学園が運営する東京第二初級(東京都江東区)が都有地を「不法占有」しているとし、東京都および江東区が、校庭の明け渡しと校舎の一部取り壊し、地代相当損害金として4億円の支払いを求めた裁判。当時、裁判所は「歴史的経緯や利用状況を踏まえ、用途制限した上で一定額で払い下げる」と民族教育を実施してきた朝鮮学校の意義を認め和解を勧告。07年3月8日に、都と区が学園から和解金計1億7千万円を受け取り、10年間は土地用途を学校用地に制限した上で、土地を学園に譲渡する和解が成立した。

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