差別に目を向けよう/神戸朝高がパネルディスカッション主催
2022年04月02日 08:35 権利 民族教育気づき、考え、話し合って―
神戸朝鮮高級学校が主催するパネルディスカッション「日本のさまざまな『差別問題』に目を向けてみよう~共生社会の実現のために~」が3月22日、神戸市の長田区文化センターで行われた。「日本に存在する差別を共有する場、共生社会を考えるきっかけを作る」(同校の朴勇黙教員)ことを目指した集まりには、保護者や日本市民ら約150人が参加した。
朝鮮人、部落、障害者差別/根底には何が?
この日のイベントは、神戸朝高の社会科教員たちが「生徒たちに自分たちが置かれた社会的な立場を広い視野で認識してもらおう」と発案したもので、同校では部落差別や障害者差別について独自の学習を重ねてきた。
集会では、「『差別』には、『つながり』がある―」と題して3人が登壇。障害者問題を野橋順子さん(障害者問題を考える兵庫県連絡会議事務局次長)、被差別部落問題を北川真児さん(部落解放同盟兵庫県連合会事務長)、在日朝鮮人問題を神戸朝高の池夢路さん(高2、当時)がそれぞれ発言した。
野橋さんは、1歳の時に脳性マヒの障害を診断され、小学校2年から普通校に通い、卒業後はデイケアセンターに通所しながら相談員の仕事をしてきた。23歳で自立生活を開始。野橋さんは、「障害者が社会と関わる機会が少ない」として、バスに乗ろうとしたところ乗車拒否をされた事例、電車に乗るとき、車イスを担いでくれた駅員から「重い、重い」と言われて傷ついたこと、家を借りるとき、「火事が起きたらどうする」と脅された体験を伝えながら、「2013年に障害者差別解消法ができた後も、社会生活の中では法律では守られない根深い差別が残っている。人の心が苦しんだら、それが差別だ。自分の中の差別に気付き、何が差別か、差別ではないかを自分で考える力を持ってほしい。気づいていくことが大事だ」と語った。
池夢路さんは、「曾祖父が1943年に仕事を探しに朝鮮半島から日本へ渡り、土木工事をして家族を養いました。曾祖父が定住することになり今の私がいます」と自己紹介をした後、在日朝鮮人が日本に暮らすことになった歴史を伝えた。池さんは、同校が神戸朝高生を対象に行ったアンケート結果を発表。「在日朝鮮人としての生きにくさ」を感じたことがあるかどうかについて聞いたところ、「朝鮮帰れ」「ミサイル」「朝高生に学ぶ権利はない」と暴言をはかれた、電車を待っていると「朝鮮人も朝鮮学校も全部くたばってしまえ、日本が汚れる」と言われた、美容院で朝鮮学校に通っていると言った後、話しかけられなくなった―などの実体験を伝えた。そして「今でも残る在日朝鮮人差別の最たる例が高校無償化制度から朝鮮学校が除外されたこと。朝鮮学校に通う生徒一人ひとりを差別している、明らかな人権侵害です」と述べた上で、「朝高生の中でも、当事者意識が薄れていることに危機感を感じている。知らないことによる無意識の差別が増えているなか、当事者の意識がなくなると、気づかないうちに差別がかき消される」と切迫した思いを伝えた。
北川真児さんは、「2016年に部落差別解消推進法が成立した後も、結婚差別や就職差別、身元調査、インターネットを利用して部落が撮影され、ネット上にさらされるといった問題が後を絶たず、『部落出身者は劣っている』という古い意識が人々を苦しめている」と現状を語った。
仲間がいる/“大丈夫だよ”
司会は神戸朝高教員の朴勇黙さん。「なぜ差別問題が起きるのか」「差別が根っこの部分で繋がっていることは多い。共通する部分は?」などの問いを投げながら、議論を進めていった。
北川さんは、「それぞれの差別は違うところもあるし、同じところもあるが、『声をあげると叩かれる』点は共通している。『かわいそうなマイノリティ』でいる間は寛容だが、『権利が欲しい』というと冷たくなる。社会の在り方を変えていこうという具体的な動きをしていくしかない。差別をする側がかっこ悪い、という当たり前のことが浸透していかないと」と提案した。
池さんは、「人はよくわからないものを、仲間外れにする。日本政府の差別政策を黙認している社会で、人々が差別意識を持ってしまっている。差別を黙認することは差別に屈していることと同じだ」と語り、差別解消の方途として、「視野を広げて一生懸命に勉強したい。朝鮮人としての誇りを持てるように続いてきた学校なので、朝鮮学校に通い、朝鮮人ということを隠さないで生きていく。今日のこの場のように、豊かな共生社会のために日本の方々と手を取り、つながることに喜びと深い意義を感じます」と応えた。
池さんの発言に「心が打たれ、泣きそう。夢路さんは恵まれている」と感動しきりだった野橋さん。「小学校の頃から歩き方のマネをされ、教室に置き去りにされてカギをかけられ、なんでこんな体に生まれてきたのかと苦しかった。でも自分のしんどさを共感してくれる仲間ができた」と語り、「共感して話しあえる人の存在が大事。みんなで声をあげる、仲間がいる、大丈夫だよ、と言っていくことだ」と経験から獲得した力強いメッセージを伝えていた。
(張慧純)