〈ウリハッキョサポーターの課外授業・朝鮮近現代史編 14〉1910年代武断統治と3.1独立運動(6)
2022年03月21日 07:24 寄稿1910年代の反日独立運動
■「105人事件」
憲兵警察制度のもとで民族運動に対する弾圧が強まります。1910年末に黄海道安岳郡で独立運動の資金を集めていた安明根(安重根の従弟)ら160余人が検挙され、うち16人に重刑の判決が下されました(安岳事件)。次いで11年後半には、「寺内総督暗殺陰謀」が捏造され、新民会会長尹致昊や李昇薫・梁起鐸(リャンギタㇰ)ら600人が検挙され、第一審において105人に重刑判決が下されました(105人事件)。新民会は大きな打撃を受け瓦解し、国内での独立運動は著しく困難になります。このような事情と関連してか、1910年代の独立運動は停滞し、3・1運動はロシアの10月革命やウィルソンの民族自決主義に影響されて起こったという非常に皮相的な見方がいまだに残っています。