佐渡は語る―朝鮮人強制労働に目を(上)/現場から見つめる


強制労働裏付ける史料

2月中旬、新潟駅を経由し、フェリーに乗って佐渡島(新潟県佐渡市)へ向かった。風の影響で不規則な波の揺れを感じ、時折、船に打ち付ける白波が窓に映る。その光景からは「日本に向かう船は荒波で大きく揺れた」「船酔いし、与えられたトウモロコシご飯もまともに食べられず戻してしまった」という、元鉱山労働者の鄭炳浩さんの証言がありありと浮かんできた(コリアン強制連行等新潟県調査会「佐渡鉱山朝鮮人強制連行追跡調査」参照)。

佐渡鉱山の世界文化遺産登録推薦を祝う看板(新潟駅)

約1時間後「両津港」に到着。新潟市内同様、佐渡市内は、佐渡鉱山の世界文化遺産推薦決定を祝福する大きな看板や幟が目立った。

港から車を約1時間ほど走らせると、佐渡鉱山が見えてくる。

この地での朝鮮人動員が本格化したのは、1939年以降。日本人労働者の間で珪肺症(ケイハイショウ※)が流行り出鉱成績がままならなかったのと、多くの日本人が戦争に出向き鉱山労働者が不足したことが背景とされる。結果、祖国解放の45年までに1200人あまりの朝鮮人が労働に従事した。(相川町史編纂委員会「佐渡相川の歴史通史編」参照)。

「募集」や「徴用」の名目で動員された朝鮮人の多くは、忠清南道論山郡出身だ。主な仕事は鉱内労働だった。資料・佐渡鉱業所「半島労務管理ニ付テ」によると、1943年時点で朝鮮人の職種は削岩や運搬など、危険な作業が多数を占めており、その分、死者の数も多かったことがわかる。

1991年に見つかった朝鮮人労働者のタバコ配給名簿

1日目は佐渡博物館へ向かった。ここでは佐渡鉱山での朝鮮人強制労働を証拠づけた史料が閲覧できる。三菱鉱業佐渡鉱山が運営する3つの寮に住んでいた朝鮮人労働者へのタバコ配給名簿のつづりだ。

名簿は1991年、鉱山近くのタバコ屋の旧家で見つかったという。年代は44年から45年にかけてのもので、約230人分の名前と生年月日が記載されている。ほかにも抹消届、異動届、改姓届なども入っていた。抹消届の理由で多く書かれていたのは「帰鮮」や「逃亡」で、異動届には他地域に派遣される朝鮮人の名前などが記されていた。

「半島労務管理ニ付テ」には、朝鮮人労働者の「逃走」数も明らかになっている。これによると、40年2月から42年3月までのあいだ、全体の14%にも及ぶ148人が逃走していた。劣悪な労働条件、離職の自由がない強制性を帯びた労働であったことが伺えしれる。

当時の面影がのこる「相愛寮給食施設」

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佐渡訪問2日目。天気は不安定で晴れた空からちらほら霰が降ってきた。この日は、佐渡鉱山での朝鮮人強制労働に関する調査に長年力を注いできた小杉邦男さん、佐渡教会の三村修牧師、新潟国際情報大学の吉澤文寿教授の協力のもと、当時の朝鮮人労働者たちが暮らしていた寮の跡地に足を運んだ。

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