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【寄稿】コロナ禍の2年―コロナと外国人差別(上)/安田浩一

2022年02月03日 09:00 寄稿

2020年初頭以降、新型コロナ感染症拡大の陰で起きた外国人排斥の流れは顕著であった。ジャーナリストの安田浩一氏の寄稿「コロナ禍の2年―コロナと外国人差別」を3回にかけて紹介する。

“差別の第一波”

「コロナ禍の2年」を振り返っている。

新型コロナウイルスの感染拡大は、未知の感染症に対する恐怖をもたらしただけではない。日本社会の様々な矛盾、なかでも外国人、外国籍市民への差別と偏見をあぶりだした。いま、「第6波」によってさらに深刻な感染拡大に見舞われるなか、たとえようのない黒々とした記憶がよみがえる。

序章は2020年2月のことだった。

20年2月、東京・新宿の喫茶店のシャッターには、臨時休業を知らせる貼り紙があった。(筆者提供)

幾度も通ったことのある東京・新宿の喫茶店。閉じられた店のシャッターには、臨時休業を知らせる貼り紙があった。

「武漢風邪で暫くお休みします」

思わずため息が漏れた。休業がショックだったのではない。「武漢風邪」の文字が網膜に焼き付いて離れなかった。

そういうことか。香ばしいコーヒーの匂いも、クラシカルな内装も、色あせた記憶として流れ去る。冷めきったコーヒーを出されたときのように、気持ちが妙にザラついた。

なぜにわざわざ人口に膾炙(かいしゃ)したわけでもない「武漢風邪」を用いなければならないのか。あえてそうすることで、差別や偏見を喚起したかったのか。それが社会に亀裂をもたらすものだという想像力もないのか。

残念ながらこの店でコーヒーをいただくことは二度とないだろう。店が差別を煽るのであれば、客も店を選ぶ権利がある。

世界保健機関(WHO)がウイルスの呼称に地名などを付けることは避けるといったガイドラインを定めたのは2015年。特定地域や民族に対する攻撃、差別や偏見の助長を防ぐことが目的だ。さらには疾患名が疾患に対する理解をミスリードすることをも考慮している。地名を用いることで、感染地域が限定的なものだと誤解される可能性も否定できない。

だが、それに挑むように、拒むように「武漢」を強調する者たちが後を絶たなかった。

「武漢風邪」「武漢肺炎」「武漢ウイルス」「武漢熱」。”敵は武漢にあり”とでも言いたげな物言いが、耳目に飛び込んでくる。

商店だけではない。麻生太郎財務相(当時)は同年4月10日の参院財政金融委員会で「新型とか付いているが、『武漢ウイルス』が正確な名前なんだと思う」と発言。他にも「武漢ウイルス」を呼称する国会議員が相次いだ。こうした物言いが、主に保守派を自認する人々、あるいは排外的な傾向の強い人々の口から発せられているところに、医学とは無関係な文脈が透けて見える。

コロナ禍の以前から抱えていたであろう「反中国」の感情だ。

それが差別の第一波だった。

日本社会が抱える「水晶」

2020年3月、私は埼玉朝鮮初中級学校幼稚部(園児41人・さいたま市)を訪ねた。春の陽が躍る、穏やかな風景のなかで、ただひたすら憤りでからだを震わせるしかなかった。

その日も同園にはメールや電話による”攻撃”が押し寄せていた。

「国に帰れ」「厚かましい」「浅ましい」「日本人と同じだと思うなよ」──。

きっかけは「マスク配布問題」だった。

「マスク配布問題」と関連し、さいたま市役所を訪ね抗議する埼玉朝鮮幼稚園の関係者たち(20年3月10日)

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