フォトジャーナリスト・安田菜津紀さん、差別投稿者を提訴
2021年12月10日 08:00 権利朝鮮にルーツ持つ人々へのヘイト、連鎖に歯止めを
フォトジャーナリストの安田菜津紀さん(34)が8日、在日同胞2世である亡父に関する記事の掲載後、インターネット上で事実に基づかない誹謗中傷の投稿により人格権を侵害されたなどとして、匿名の投稿者2人を相手に、それぞれ195万円の損害賠償を求める訴訟を東京地裁に起こした。
訴状によると、2020年12月13日、安田さんは、自身が副代表理事を務めるNPOメディア「Dialogue for People」に「もうひとつの『遺書』、外国人登録原票」と題した記事を掲載。該当記事は、朝鮮半島生まれの祖父と、安田さんが中学2年のときに他界した在日同胞2世の父など家族のルーツをたどったもので、同日これについて紹介するTwitter投稿をしたところ、それへの反応として以下のコメントが投稿された。
①「密入国では?犯罪ですよね?逃げずに返信しなさい。」(2020年12月13日)
②「在日特権とかチョン共が日本に何をしてきたとか学んだことあるか? 嫌韓流、今こそ韓国に謝ろう、反日韓国人撃退マニュアルとか読んでみろ チョン共が何をして、なぜ日本人から嫌われてるかがよく分かるわい お前の父親が出自を隠した理由は推測できるわ」(2020年12月21日)
安田さん側は、①の投稿に対し、父親の「名誉を棄損し、原告の敬愛追慕の情を侵害する不法行為」であり、ヘイトスピーチ解消法が定める「不当な差別的言動」だと主張。また②の投稿に対しては、朝鮮半島にルーツを持つ人々全体への侮辱的な表現であり、同じく「不当な差別的言動」に該当する違法行為だとしている。
提訴後、都内で会見が開かれた。
安田さんは、訴訟を起こした理由について「量産される差別や排除の言葉を『仕方がない』では終わらせたくなかった」と明らかにしたうえで、今後つづく裁判と関連して「ルーツとは何かを考えることが、父が私に託してくれた役割なのだとすれば、次世代が差別の矛先を突きつけられ、脅かされることがないよう、写真で、言葉で、抗い続けたい。今回の訴訟が、その一助になれば」と強く訴えた。
“言えない”現実を前に
高校時代、戸籍を確認して初めて、自身の父親が在日同胞2世であることを知ったという安田さん。会見では、その父親の歩みを手繰り寄せていくことが「在日コリアンがたどってきた歴史や構造的な差別に向き合うこと、そのものだった」と言及。それと同時に、記事の掲載以降に目の当たりにした「ヘイトクライムがエンターテインメントのようにネット上で消費され続ける」光景から、「もしかすると父はこういうものを見せたくなくて、経験させたくなくて、ルーツを語れなかったのではという思いを強くしていった」と吐露した。
また安田さんは、「大事な人にさえ、自分のルーツについて伝えることができない」「どうして表立って語れるのか」など、記事掲載を機に、次世代から相談を寄せられることが増えたとも述べ、それが自身にとって「(出自を)隠したくなくても隠さなければならない状況を作り出す社会は、望ましい社会といえるのか」という問いを投げかけていたことも明らかにした。
「仮に差別書き込みを見ないようにできても、そのアカウントが、かれかのじょたちに違った形で矛先を向けていくかもしれない。結局、自助努力だけで対応することは問題の先送りにしかならない。ヘイトスピーチというのは、心の傷つきだけにとどまらず、矛先を向けられた側に恐怖心を抱かせ、沈黙を強いて、命や日常の尊厳を削り取っていく暴力性がある。その連鎖に歯止めをかけたかった」(会見中の発言より)
画期的判決を基に
一方で、今回の訴訟にあたっては、投稿者が匿名という性格上、訴訟に踏み切るには、まず発信者情報を突き止める必要があり、安田さん側は、提訴に先立ち発信者情報開示を求める裁判を起こしていた。
これと関連し、東京地裁は、差別コメントが投稿された際の経由プロバイダ企業に対し、今年8月と10月にそれぞれ投稿者の情報開示を命じるとともに、②の投稿については、「差別であり、人権侵害」だと認定。代理人の神原元弁護士によれば、今回のように複数形の表現を用いた誹謗中傷が、法的にヘイトスピーチだと認定されるのは「非常に稀」で、同判決は「現行法の中では画期的」だとしている。
本件投稿は、原告の父親のみならず、原告を含め、広く韓国にルーツを有する日本在住者をその出自のみを理由として一律に差別する趣旨のものであって、それらの者の社会的評価を低下させるとともに、その名誉感情を侵害する表現というべきである。そうすると本件投稿は、それが父親に対する原告の敬愛追慕の情をその受忍限度を超えて侵害するものであるか否かを問うまでもなく、原告の人格権を直接侵害するものであることが明らかである。(判決文より)
そのような流れの中で提起された本裁判の意義について、神原弁護士は、「単なる名誉棄損訴訟ではなく、不特定多数に向けられているかの如くみられる差別表現が、不当な差別的言動であり違法行為だと認めさせることにある」と強調。
同じく代理人の師岡康子弁護士は、「裁判を起こしたのは大変勇気があることで、社会的に支えて支援していく必要がある」と言及しながら「日本は人種差別撤廃条約に加盟しているため、本来は国が差別を禁止し終了させる義務があり、こうして被害者が声を上げるのはおかしなことだ。今回の裁判は、差別禁止法や国内人権機関の設置につなげるという(安田さんの)意思をもって提訴された」と警鐘を鳴らした。
問われる日本のメディア
会見の場には、NPO法人Dialogue for Peopleの代表理事を務める佐藤慧さんも同席した。佐藤さんは、提訴に際し、安田さんへの差別書き込みに関する調査依頼をおこなったこと、調査の結果、19年1月から今年12月までの約3年間に、ルーツに言及した投稿が20、50、100と年を追うごとに増加し、なかには悪質なヘイトスピーチが見られるようになったこと、またそれらの拡散にメディアが一翼を担ったことについて言及した。
そのうえで佐藤さんは「差別の問題が報じられるとき、単に差別されている人がいるという報道になりがちだが、本当に大事なのは、一方で差別している人が居て、その差別を放置するその他大勢がいるということだ」と述べ、差別に対する認識のアップデートを促していくことが日本のメディアに求められていると強く訴えた。
安田さんに対し、現時点で被告となる2人の投稿者から、一切の謝罪はない。
安田さんは「制度的な不備から、差別をする自由が、非常に大きく認められている」と悔しさを口にしながらも「訴訟を通じて、どのような法体系が望ましいのかを考えていけたら」と思いのたけを語った。
(韓賢珠)
【取材後記】
会見直後、ネット上には、安田さんに対するヘイトコメントが散見される一方で、「安田さんを応援します」といったコメントも多くみられた。
正直なところ、これらについて筆者は若干の違和感をぬぐえない。「応援します」というコメント主たちの立ち位置についてだ。それを表明すること自体は、意味があることだと思う。しかし一方で、その「応援」が当事者性をもっているか否かで、その場限りの表明で終わってしまう可能性があるからだ。
今般の問題に限らず、社会のあらゆるマイノリティ当事者が孤独な闘いをする(していると感じる)のは、少なくない人々が「かわいそうな人とそれを応援する私」という構図に無意識のうちに取り込まれ、応援するだけで自分の役割を果たしたかのような錯覚に陥る傾向にあるからではないだろうか。とりわけ、日本における朝鮮半島にルーツを持つ人々への差別や排除の問題を考えるとき、それらが生じた歴史的、構造的背景や原因から自身の立ち位置を定め、真の当事者性をもって、みて、関わっていくことが、いま求められているように思う。
今回の取材を通じて、ルーツを共にするからこそ書けること、書かなくてはならないことがあり、そこにオリジナリティがあるのだという思いを一層強くした。