〈続・歴史×状況×言葉・朝鮮植民地支配と日本文学 30〉何からの「未/復員」なのか?/古山高麗雄①
2021年03月14日 07:00 寄稿前回までとりあげた後藤明生とともに「内向の世代」に数えられ、かつ同じく植民地朝鮮出身の作家に古山高麗雄(ふるやまこまお)がいる。1920年新義州生まれ(そこから「高麗雄」と名付けられた)の古山の方が年齢は一回りも上であり、兵士として戦場体験の有無、そして小説家としてのデビュー時期には違いがあるが、長らく編集者として人脈も広かった古山は、1972年、後藤とソビエト旅行を共にするなど、近しい関係だった。
初の作品「墓地で」(1969)、そして芥川賞受賞作「プレオー8(ユイット)の夜明け」と「白い田圃」(70)について、古山は「戦後すぐには書けなかった書きたかった小説が、二十五年たって、突然書けた」(アンダーラインは引用者)としているが、同時期後藤の「挟み撃ち」(73)における「とつぜん」断片的に想起される朝鮮および引揚げ体験の想起のあり方とシンクロしている。戦後二十五年余を経て突如想起され、曖昧で断片的なまま、わからない、よく憶えていない、思い出せないという言葉たちを伴いつつ、その実政治的背景や侵略された側への想像を排除しながら再構成される回想態度は、古山においてもしかり、当時の「内向」性と忘却の自己合理化によってなされる、引揚げ体験者の、想起されそこなった他者の記憶をめぐる問題系をなす。