〈続・歴史×状況×言葉・朝鮮植民地支配と日本文学 26〉「無知と無視」「開き直り」と、「内向」と/後藤明生①
2020年11月01日 06:17 寄稿今月16日、高校無償化制度からの朝鮮学校除外をめぐり、またもや広島高裁による不当判決が下された。その翌日、巨額の税金を費やし中曽根康弘元首相の合同葬が行われた。同時進行されたこの二つの醜悪な風景が、どぎつい色調で塗られた対の戯画ように重なりあって、目眩をもよおし、そのあと、激しい怒りがやってきた。
「日本政府には在日朝鮮人の民族教育権を保障し、諸条件を整える責任があり、植民地支配の結果として日本で生活している在日朝鮮人の民族教育に対して歴史的経緯を踏まえ植民地支配被害者の原状回復の問題として対応すべき」(広島無償化裁判を支援する会「声明」)である。その歴史的責任を否認・放棄し続ける日本。
他方、元日本軍将校として積極的に「慰安所」設置に関わったと自ら証言を残した中曽根元首相の、侵略戦争と植民地支配を美化(戦後日本の首相として初の靖国神社参拝を行った人物でもある)したその思想と、米日軍事同盟による軍拡、新自由主義的財界奉仕の政策を、忠実に継承することを公言したにも等しい合同葬。あまつさえ弔意まで事実上強要して悪びれる様子もない菅新首相である。