喪失乗り越え少しずつ前へ/西日本豪雨1年、被災同胞たちは今
2019年07月05日 13:03 暮らし・活動昨年7月に起きた「西日本豪雨」。記録的な大雨により町は姿を変え、死者・行方不明者は日本各地で232人に上った。中四国地方を中心に、同胞たちの生活にも大きな被害があった。あれから1年。特に被害の大きかった倉敷市真備町(岡山県)の同胞たちを訪ねた。
被災地は1年で大きく変わっていた。
1年前、同胞支援隊のメンバーが一目見て「まるで別の国」だと話していた倉敷市真備町。1年間で復旧作業が進み、町は落ち着きを見せていた。道に積もっていた乾いた土埃は取り除かれ、コンビニや飲食店の営業中を示す旗がなびき、1年前、見渡す限りどこまでも並んでいた災害ゴミもほとんど見当たらなかった。ただ、町行く人は住民より建築業者の方が多いようにも感じた。
自分自身、現地に向かう車中でそこまで大きな不安は感じていなかった。昨年とは違い現場の状況を把握できていたのもそうだが、何より取材のアポを取りながら電話越しに聞いた同胞たちの声が明るく聞こえたからだった。「少し明るい話も聞けるんじゃないか」、そんな思いを抱きながら被災した同胞の住宅に向かった。
李光寿さん(69)は昨年、豪雨から逃げ遅れ真備町の自宅に取り残されたが、屋根に上り、救助に来たボートに助けられ辛くも難を逃れた。家には数日後、総聯岡山県本部が立ち上げた対策委の支援隊メンバーたちが大挙して訪れ、3日間に渡り屋内の泥や汚れた家具の撤去作業を懸命に行った。しかし、家は2階の胸の辺りまで完全に浸水し、「全壊」状態となっていた。
今回、取材のため家に向かったが、あるはずの場所に家はなかった。代わりに少し雑草の生えた土地の隣で李さんが待っていた。「今年3月までに解体しました。自費で解体する場合は3月までに解体しないと市から補助金がおりないから」。築およそ30年だった一軒家は跡形もなく取り壊されていた。中にあった家具などもすべて処分したという。「使えるものが一つもなかったから。こう見ると寂しさもあるけれど…」、李さんはそう言葉を絞りだした。