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〈ウーマン・ヒストリー 35〉独立運動に生きた安重根の母/趙瑪利亞

2018年01月20日 09:00 文化・歴史

趙瑪利亞(趙姓女)

2月14日。この日は、伊藤博文を射殺した安重根が死刑宣告を受けた日である。

朝鮮の代表的な独立活動家、安重根を知る者は多いが、彼の母親、趙瑪利亞(趙姓女)が独立活動家だったという事実は、あまりよく知られていない。安一家に比べて趙瑪利亞の詳しい記録は今も少ない。

趙瑪利亞は黄海道海州出身で父、白川・趙氏と母、原州・元氏の3男2女の、二番目として生まれた。彼女は同じ地に住んでいた安泰勳(1862~1905)と結婚した。

嫁いだ家の暮らしは豊かであった。舅・安仁寿は人徳と才智を兼ね備えた人物で、名誉職にあたる鎮海県監の任にあった。また夫の安泰勳は、幼いころから聡明で神童として広く知られた人物。開化派の改革政策の一環で青年70人が日本への留学生として選ばれたとき、安泰勳もその一人だった。

しかし、甲申政変の失敗によって留学の道が閉ざされ、保守派の弾圧を避けるため一家は、黄海道信川郡清渓洞の山中に移り、隠居した。夫との間には三男一女をもうけた。

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