〈特集・ウリハッキョの今〉中大阪初級/70年機に愛校心をもう一度
2017年10月24日 15:38 民族教育大阪市「緑橋」駅から徒歩数分の場所で70年前、中大阪初級の歴史は始まった。西今里にまかれた民族教育の種は、今日に至るまで「東成朝鮮学園」「ソグムリ・チュンハッキョ」と名前を変えながらも同じ場所で育ち続け、今春も運動場の桜の木の下で、幼稚班13人を含めた48人の子どもたちの笑顔を咲かせた。
同胞たちに親しまれながら
1945年、祖国解放を迎えた同胞たちは、子どもたちを立派な朝鮮人に育てたいという一心で、大阪のほぼ全域で「国語講習所」を設立した。46年には森町、東中本、大今里、大成通の4地域の教室で、3年制の初等教育が実施された。
その後、学校を統合し旧坂東小学校跡地(東成区西今里町4丁目2番地、現在地)に木造2階建て1棟19教室の校舎を建設。「東成朝鮮学園」の名称で1948年1月20日に開校した。この日が創立記念日となっている。
東成朝鮮学園2期生の梁鳳順さん(84)はこう語る。
「日本学校に通っていたころは『朝鮮人、朝鮮人』と言われ、嫌な思いをした。でも朝鮮学校に行くと周りはみんな朝鮮人で、そういうことを言われなくなった。ものすごく嬉しかった。学校に行くのが楽しくて楽しくて、家に帰ってもまた学校に行きたかった」
48年3月、第1次閉鎖令により学校の閉鎖が押し付けられた。4.24教育闘争などにより閉鎖令は撤回されたが、市が所有する建物であった学園は校舎を奪われ、生野区にあった鶴橋小学校の教室を午後のみ借用していた。同年6月、旧双葉高女の校舎借用権を獲得、移転したが、第2次閉鎖令により閉鎖。校舎は再び没収された。